■1965年2月号、第35集
この号は人物ではなく、記事を紹介しよう。というのは、「創刊3周年記念企画」として、2コースの海外旅行を紹介しているからだ。「海外秘境の旅への誘い 主催:世界の秘境シリーズ 後援:日本交通公社」である。以下の地名は、原文のママ。
Aコース 未知なる国中近東を行く 東京――カルカッタ――ダージリン――カトマンズ――ニューデリー――スリナガル――ペシャワル――カブール――テヘラン――イスファハン――アバダン――イスタンブール――ベイルート――東京
全日程23日間 73万3000円
Bコース バリ島からアンコールの廃墟へ 東京――マニラ――ジャカルタ――デンパサール――ジャカルタ――バンコック――プノンペン――シェンリープ――サイゴン――香港――東京
全日程12日間 36万円
ちなみに、1965年の小学校教員初任給は、1万8400円。だから、安い東南アジアコースでも、20カ月分の給料に当たる。期間が短いBコースでも、航空会社は7社にもなるので、添乗員は苦労しただろうなあと思う。
この「世界の秘境シリーズ」がらみのエッセイも長くなってきたので、そろそろ先を急ごう。
1965年6月号、第39集に、中田耕治「静かな動乱の街サイゴン」が載っている。中田耕治といえば、欧米事情に詳しい作家であり、アメリカ文学の翻訳家というイメージしかないから、サイゴンに姿を見せた理由、あるいはいきさつがわからない。
第30集から始まっているらしい「日本海外調査探検隊の記録」は、無署名の連載。おもに大学の学術調査の記録を集めているもので、この第39集では、東 京水産大学のガラパゴス諸島学術調査(1959年)をとりあげている。この連載がのちに1冊にまとまっているといいのだが、双葉社からでは無理だろうな あ。
カラーページは「森繁 南海を行く」。写真解説では、「映画“ボロング”の撮影視察のため」南太平洋を巡ってきたという報告で、フィジーニュー・ヘブリ デス諸島でのスナップ8点が載っている。ところが、「ボロング」という映画の記録は探せないのだ。森繁が企画して、しかし流れた映画企画だろうか。
■1966年6月号、第51集。
「“チャドルの国”イラン滞在記」の筆者黒木絢子の紹介記事が気にかかった。
1962年11月から3年間イランに滞在。イランを中心に中近東諸国をまわり、各国のアクセサリーや彫金工芸について研究してきた。昭和7年生まれ。
アクセサリーの研究のため中近東に3年間滞在というのは、この時代と場所を考えれば、留学というのは難しいので、企業駐在員夫人か大使館員夫人だったのだろうかと思って調べたら、インターネットで見つけた唯一の情報がこれだった。
黒木絢子遺作展 2005年1月
くろき・あやこ 1932〜2003
以上、「世界の秘境」のシリーズは終わり。