278話 ユースホステルと海外旅行 3

 「向こう三軒ヨーロッパ」の連載が終わると同時に、黒田はふたたび100日間の取材旅行に出た。1965年6月からの旅は、「地中海から日本へ」というタイトルで、中近東から東南アジアまで56回の連載原稿を書いた。
 1965年に出版された『向こう三軒ヨーロッパ』は、新聞に連載された60回分の記事をまとめたものだが、81年の『選集』では、この「向こう三軒ヨーロッパ」に、「地中海から日本へ」の56回分から30回分を「中近東リュックの旅」として加えて、『黒田清選集 Ⅰ 向こう三軒ヨーロッパ』として発売した。ちなみに、この本には、選集全8冊の書名が載っているが、実際に出版されたのは第1巻と2巻だけだ。
 ここでは、中近東編も含めて『向こう三軒ヨーロッパ』としておくが、さて、この本の出来上がり具合だ。
 私のなかでは黒田の文章は評価が高いから、その基準を当てると、この本はだいぶ落ちると言わざるをえない。常に移動する旅で、それを新聞に連載するというのは、大変な労力だということはわかる。もし、ドイツとか、スペインに100日間滞在して、雑誌に署名原稿を書くか、あるいは一気に書き下ろしなら、もう少し内容のある文章になったような気がする。もし、名も知らぬ記者が書いた本ならば、「まあまあ」程度の評価をしたかもしれないが、かの、偉大なる、黒田清の文章として評価すれば、なんとも食い足りない。ひとことで言えば、薄いのだ。黒田の33歳という年齢は、ユースホステルで若者たちと語り合うには、ちょっと年齢差があり、中途半端だ。通訳を雇う経済力はなく、じっくり語り合うのは難しい。かといって、小説家の旅行記のように、旅先の出会いを随筆・随想にするというわけにもいかない。旅は楽しかっただろうが、原稿書きは、さぞかしつらかっただろうと思う。
 ただし、現実の西洋などまったく知らない1965年の新聞の読者には、旅する感覚が伝わるだけで充分満足だったのだろう。憧れの西洋の旅が、写真とともに毎日の紙面に登場するのだから、どうということもない旅行記でもよかったのかもしれない。
 当時の基準でいえば、そうだろう。しかし、のちの時代の評価基準では、読むべき内容が特にないと感じたのは私だけでなく、おそらくは世の編集者たちも同様で、だから文庫に入るようなことがなかったのだろう。もちろん、『選集』もすでに絶版になっているが、「ぜひ復刊すべき」とは思わない。だたし、黒田清研究という意味では、重要な資料ではある。