197話 「世界の秘境シリーズ」人物中心飛ばし読み その5


■1964年2月特大号、第23集。
 「わが青春放浪記」は徳川夢声だが、秘境らしい内容ではない。戦時中の外地の話題はまったくない。
 「アマゾニアの毒蛇」の筆者は、いまもしばしばテレビに出演している動物作家実吉達郎(さねよし・たつお)。55年から62年までブラジルで生活をしているので、アマゾンの話はお手の物である。

■1964年5月号、第26集。
 「西ネパール探検隊」(長沢和俊)や「旅人を招くツアモツ島の女」(岩佐嘉親)といったエッセイの中に、またしても細川護貞の文章があった。「至宝の島・セイロンの廃墟に立つ」という、特集関連の文章だ。そこで、企画の推移を想像してみる。
 まず、カメラマンなど数人からセイロンの写真の売り込みがあった。そこで、「ベンガル湾からインド洋へ」という特集を考えたが、さて、誰に原稿を依頼し ようか。あれこれと書き手の顔を思い浮かべつつ、編集部の書棚から取り出したのが、『世界紀行文学全集 南アジア編』(修道社、1960年)。目次を見れ ば、「セイロン 細川護貞」とある。そこで、原稿発注という工程ではないだろうか。異文化体験と出版文化という意味で、修道社は特筆していい会社だろう。

■1964年10月号、第31集。
 この号から連載が始まった「世界の裏街を行く」(蜷川親博)の第1回は「意外なアメリカの女ごころ」。この筆者がちょっと気にかかった。昔の旅行記ネット古書店の目録でチェックしているときに見つけた、『クルマ気ちがい世界を駆ける』(実業之日本社、1963年)を思い出した。いったいどういう著者 なのか調べてみたら、元東宝で助監督や新東宝で監督をやったことがある人だということはわかっていた。今回、ほかの著作を調べてみて、ナイロビを思い出し た。『奔馬よアフリカを往け 65才サファリ・ラリーへの挑戦』(蜷川親博、現代創造社、1983年)という本がある。私がケニアにいたちょうどそのと き、サファリ・ラリーが行なわれていた。ナイロビでぶらぶらしている日本の若者たちが、「ニナガワさんって、元気なじいさんのドライバーがいて…」と、 バーでビールを飲みながら話していたのを、ついさっき突然思い出した。そうか、あの「ニナガワさん」が、新連載「世界の裏街を行く」の蜷川親博だったの だ。