■1963年5月号、第14集。
連載エッセイ「わが青春放浪記」は、アイ・ジョージ。父親はドイツの石油会社に勤める日本人。母親はスペイン系フィリピン人。父親の赴任先サンフランシスコで生まれて、マニラ育ち。マニラで母親が病死し、父と上海、香港、大連へと転々とするといった話が紹介されている。
連載コラム「海外旅行ABC」では、「いよいよこの秋には“観光渡航の自由化”が実現しそうである」とあり、渡航条件などなしに海外旅行ができると伝え ている。しかし、「この秋」というのは、1963年の秋という意味だ。実際に自由化されたのは、1964年4月だから、「この秋には」というのが誤報なの か、それとも自由化が翌年に延期されたのか、そのあたりの事情はわからない。
■1963年9月発売の臨時増刊号。
カラー写真もたくさん入れて、定価を倍の200円にして「秘境画報 特集・人喰人種の世界 南海の楽園を求めて」を作ろうとしたらしいが、「欲が深すぎた。編集の成果は満足すべきものではない」と編集後記で自ら認めているように、大失敗号だ。
外国の雑誌から「いかにも秘境」という写真と記事を集めて、文章をでっち上げるスクラップブック編集で1冊分のページを埋めることは不可能とわかったらしく、普通の海外体験原稿もプロに依頼している。以下、私でも知っている書き手の名をあげてみよう。
「アラビア虚無の沙漠」 西江雅之(肩書きは、アフリカ言語研究家)
「秘境アフガニスタンの旅」 細川護貞(元首相細川護熙の父)
「パリの貧乏留学生」 森乾 後述。
「二人の冒険映画監督」 筈見有弘(映画評論家)
「ほろにがいアリゾナ旅行記」 福田蘭堂
「ローマ貴族と雌豚と」 日影丈吉
「ハンブルグの夜」 檀一雄
「『続シルクロード』について」 深田久弥
「野生の呼ぶ声」 南洋一郎
「『じゃぱん紳士』の嘆き」 早川東三
「四国の狸と狐」 山田克郎(「快傑ハリマオ」の作者)
「ルクソールの美女」 松岡洋子
前回紹介した西江の旅行記はあまりおもしろくなかったが、今回のエッセイはのちの名エッセイを思い出させるいい出来だ。
早川東三は「じゃぱん紳士」物で知られていた。ちょっと色っぽい西洋エッセイだったような記憶があるが、なにしろ高校生時代に読んだっきりなので、はっきりした記憶はない。それにしても、のちに学習院大学学長になったときは驚いた。
森乾は次のように紹介されている。
筆者は早大文学部卒業後、ソルボンヌ大学に留学。二年間、ヨーロッパ各地を彷徨。現在、成城大学講師を経て、中央郵政研究所講師。
こういう経歴よりも、私には金子光晴と森三千代の息子として彼の名を知っているが、文章 を読んだことはなかった。今回初めてこの「世界の秘境」で読んだが、パリの留学生生活の話がおもしろい。日本人留学生のために作ったパリの日本風建築の日 本会館は、「女人禁制」になっていて、女子学生が来ると、よその国の会館を紹介しているというようなエピソードを紹介している。男女同じ建物の寮というの は考えられない時代で、だからといって女子寮を作るほど女子学生は多くない時代でもあるということだ。