259話 石原裕次郎と長嶋茂雄と、なぜか三輪車 後編


 裕次郎関連の資料をまとめ買いしてみると、資料の正確さと文章のおもしろさで、百瀬博教 の手によるものが群を抜いている。はっきり言えば、ほかの便乗芸能本と「格が違う」のだ。百瀬は裕次郎の用心棒のようなことをしていた時代もあり、のちに 総合格闘技の「プライド怪人」としても有名になる詩人・作家でもある。裕次郎の資料ほしさに百瀬の本を読み始めたのだが、文章のおもしろさに魅かれて、結 局ほとんどの著作を読むことになったのだが、私が興味を持って読み始めたころ、百瀬の急死(2008年1月)を知って驚いた。
 百瀬が2007年に出した『裕次郎時代』(ワック)に、アメリカ旅行のすべてが書いてある。

 「昭和三十七年一月四日午後十時、羽田発ノースウエストDS−8ジェット機で、石原裕次郎北原三枝夫妻、巨人軍の長嶋茂雄、日活演技部の坂本正等一行はアメリカに向けて出発した」

 こういう書き出しで、1962年当時の海外旅行の裏側を書いている。実質的には観光旅行だが、「観光」ではもちろんパスポートはとれない。かといって、業務ともいいがたい。天下の裕次郎&長嶋をもってしても、制度上どうにもならないのである。
 そこで、制度などどうにでもなる人物の力を利用した。外務大臣小坂善太郎の力で、石原夫妻と長嶋のパスポートを取得した。同行取材をする予定の「週刊平 凡」木滑編集長の場合は「業務」ではあるが、「平凡出版ごとき」では業務渡航の許可を得られず、木滑は友人に頼んで、ヤシカの社員になりすまし、アメリカ にカメラの修理に行くという書類をでっち上げて、パスポートをとったという。こうして苦労して手に入れたパスポートだが、所用があって木滑編集長はアメリ カには行けなかった。
 航空運賃は、「木滑がノースウエスト航空の渡辺代表にかけあって、一行の旅客機のチケットを貰った。『とにかく海外旅行はとても難しかった』と後に木滑は語ってくれた」。
 日活の社員のパスポートはどのように取得したのかわからないが、だいたいの事情はこれでわかった。「ユダヤ人のおっさん」というのが実在人物かどうかは わからないが、裕次郎ならアメリカにタニマチがいてもおかしくない。「週刊平凡」のグラビア写真は、取材費節約のため、アメリカ在住のカメラマンを使った ようなので、アメリカ側にコーディネーター役を務めてくれる人物がいたはずだ。
 さて、『裕次郎時代』を読んで数カ月して、やはりマガジンハウスの雑誌「ブルータス」と海外旅行の関連を調べたくて、インターネット古書店の目録でバッ クナンバーをチェックしていた。「ブルータス」(2000年4月1日号)は「2000 S&S STYLEBOOK」というファッション特集号なのだが、「昭和37年、石原裕次郎はニューヨークにいました」という記事があることがわ かった。内容などまったくわからないが、読んでみたい。だが、3000円だったか4000円の値がついている。そんなに出す気はないので、そのままにして おいた。
 それから数ヵ月後に、500円の値でオークションに出ているのを発見し、「送料もかかるが、それでも、まあいいか」と注文した。
 1週間ほどして、雑誌が届いた。パラパラとページをめくる0.5秒の間に三輪自転車と三輪自動車の写真が目に入った。ファッション特集にはふさわしくな い写真だ。ページをパラパラめくる一瞬なのに、アユタヤのトゥクトゥクの写真もジョグジャカルタのベチャの写真も見えた。なぜ細部まですぐわかったのか。 そのページを開いて、理由がわかった。それらの写真は、私が撮影したものだからだ。「EYE OF THE B」という欄に載っている「改造三輪車たちよ、21世紀も生き延びろ!」というコラムは、拙著『東南アジアの三輪車』 を紹介したページだったのだ。このコラムに大量に写真を貸したことを思い出した。本を紹介してくれるのだから、写真使用料は格安だったことも思い出した。 この号が出たときには、出版社が送って来たはずだが、「ほぼ全ページファッション記事の、こんな雑誌なんざ読むか!」と、すぐに捨てたのだろう。あれから 8年たって、また入手したというわけで、肝心の裕次郎の記事だが、これは、まあ、しょうもねえ・・・。