1841話 時代の記憶 その16 仕事1

 

 『イラストで見る昭和の消えた仕事図鑑』(澤宮優、イラスト:平野恵理子、角川ソフィア文庫、2021)は、もう今はない仕事や、細々だがまだ少しは従事者がいる仕事を140種集めて、イラスト付きで解説している。半年ほど前に、「いつか読みたいな」と思って、アマゾンの「ほしいものリスト」に入れていたのだが、たまたまこの雑語林で昔の話をするコラムを連載することになり、すぐさま注文した。

 上にリンクを張ったアマゾンのページの「試し読み」をクリックすると、目次を読むことができる。紹介している140の仕事の中で、損料屋のように、どう読むのかさえ知らない仕事もある。これは「そんりょうや」と読むそうで、今ならレンタルショップのことらしい。このような、皆目わからないという仕事はあまりなく、ほとんどは知っている。ただし、「知っている」といっても、蒸気機関士のように、映画やドキュメント番組などでは知っているが、現実の仕事風景は見たことがないものがほとんどだ。それでも、いくつかは、「自分の目で見ました」というものもあるので、ちょっと紹介したくなった。そういう職業そのものの解説はこの本に載っているので、私は旅エッセイも加えて書いてみよう。

赤帽(あかぼう)・・・駅のポーターだ。東京駅で仕事中の赤帽を何度か見ている。もしかして、インドでポーターを見た方が先だったかもしれない。東京駅の赤帽は、2001年に最後の仕事を終えた。JR最後の赤帽は岡山駅で、2007年だったというから、鉄道に興味がある人なら、比較的若い人でも赤帽を目撃しているかもしれない。

馬方(うまかた)・・・馬車ぶ人や荷物を乗せて運ぶ人。私は見たことはないが、「網走番外地」時代の北海道生活者なら、もしかして見ているかもしれない。

 観光用の馬車ならニューヨークにもあるが、完全に実用の馬車は、1990年代から2000年代のミャンマー北部やジャワ島(インドネシア)の街で見ているし、乗っている。ミャンマーのピン・ウー・ルウィン(旧称メイミョー)では、街の移動手段は箱馬車で、私は駅までその馬車で行った。インドネシアのソロやジョグジャカルタでも、街の移動手段としてまだ馬車が走っていたが、観光用の度合いが強いようだ。市場の外側には、買い出しに来た人たちが乗ってきた馬車が停めてあった。街の大きな市場から、村の自分の店まで運ぶ自家用だろうと想像した。ジャカルタならトラックがやる仕事を馬車がやっていた。

輪タク・・・三輪自転車のタクシーで、大正時代に姿を見せたようだが、商売として広がったのは戦後数年間だけで、1950年代に入ると消えていった。東南アジアでは、なぜかジャカルタでもバンコクでもサイゴンでも、1935年ごろに姿を見せた。それぞれの関係が一切わからないが、「偶然による同時多発」とは考えられないので、大きな謎になっている。

押し屋・・・満員電車に乗ろうとする人の背中を押して、もっと詰め込もうとする人たちのことで、私も押された経験がある。あまりに混雑して、電車の窓ガラスが割れた音も聞いている。駅で乗客の背を押していた人も駅員だと思っていたのだが、押す専門のアルバイトだったと、この本で知った。1985年に「押し屋」はなくなり、駅員がやるようになったという。