1640話 ふと思い出す街 その1

 

 日本で生活をしていて、なんのきっかけもなく、昔旅した街の風景が突然よみがえってくることがある。過去の旅を思い出そうと記憶を掘り起こせば、あの街もこの街も思い出すのだが、思い出そうなどとしていないのに、日本のいつもの生活の中で、何のヒントもなく、予兆もなく、ふと脳裏に現れる街がある。

 20代のころは、インドでの光景だった。晩秋の北インドの寒いくらいの早朝に駅やバスターミナルに急ぐその光景が、日本の生活の中で突然浮かんでくることがよくあった。

 早朝、駅に急ぐということでは、ジャカルタを思い出すこともときどきある。1974年のことだ。ジャカルタのジャラン・ジャクサの安宿を出たのはまだ夜で、真っ暗だった。その日、たまたまバリを目指して宿を出た旅行者が3人いて、ガンビル駅までのそれほど短くもない道をゆっくり歩いていくと、夜は少し明るくなり、早朝と呼ぶことができる時刻になった。まだ眠かったのか、これからどういう旅になるのかさっぱりわからぬ不安があったのか、3人は何もしゃべらなかった。バリのガイドブックなどない時代だから、映像としてのバリも知らなかった。前年にインドで鉄道を利用しているから、インドネシアの鉄道の不安はなかった。

 30代に入ると、さて、どんな旅の世界が浮かんできたのか。アメリカのサンディエゴか。取材がうまく進めば、この街の南30キロほどのメキシコへ遊びに行きたいと思っていたが、そういう余裕はないとわかり、ちょっと落ち込んでいた。我が安宿はあまり治安が良くないあたりだったのか、全体的に暗く、ホテルの前やロビーが不良少年たちのたまり場になっていた(今、そのホテルの名がCommodoreだったことを思い出した。41年前にたった1泊しただけのホテルの名をなぜか覚えていた)。アメリカのホテルと言っても、ホテルのドアは開けっ放しで、誰でも入って来られた。ロビーの一角に電話ボックスがあった。教会の懺悔室のようなというか、アメリカのトイレのようなと言えばいいのか、西部劇に出てくるバーにある小さなスイングドアがあり、中に木製のベンチがあった。電話機以外は戦前から変わっていないようだ。不良(に見える)少年たちのひとりは、その電話ボックスのベンチに腰掛けて仲間とワイワイ騒いでいるのだが、私は取材を依頼する電話を何回もかけなければいけないわけで、「ちょっと、電話を・・・」と小さな声で言うと、「うるせーなー」という顔はするが、素直に電話ボックスから出てくれた。もう一度やったが、3度目はやめた。

 電話はあきらめ、夕飯を食いに出た帰り、宿の前の道を渡っているところで、警官に職務質問された。横断歩道のない場所で横断したというジェイ・ウォーク(jaywalk)の現行犯というわけだ。私の前を歩いていたヒスパニックらしき少年が、身分証明書の提示を求められ、お説教されている。私はパスポートを出した。街灯の光が警官の顔を照らし、若いアジア系に見えた。日本のパスポートを見て、ちょっとびっくりしたように見えた。小柄で少年のような顔つきの警官は、もしかして日系かもしれないと思った。ヒスパニックの少年とは違い、私にはゆっくり、かつはっきりとした英語で、「横断歩道を渡りなさい」と言った。日本人は英語が苦手だとよくわかっているような態度だった。その警官の、困惑したような顔をよく覚えている。