1639話 おとなの事情 その2

 

 つい最近見た日本映画がなかなかおもしろかった。いずれも2020年公開の、「おらおらでひとりいぐも」、「浅田家」、「喜劇愛妻物語」、「騙し絵の牙」などだが、それはともかく、「おとなの事情」の話の続きを。

 食事会に行く直前に、妻が突然パンツを脱いで出かけるというシーンの話だ。長いワンピースを着ていて、後ろ向きに脱ぐから足さえ見えないのだが(イタリア版)、ワンピースに両手を突っ込み両手の親指が腰まで届き、本当に脱いでいるように演じているのが外国の女優なのだが、ワンピースの裾から両手を差し入れた常盤貴子の手は、太ももあたりで止まり、黒いパンツを取り出すという不自然な「演技」だ。スターのイメージを維持するためなのだろうかなどと思った。

 食事会で、妻はパンツをはいていないかもしれないという疑惑が持ち上がる。「電話の男の言うことに従っているのか!」と怒る夫に対して、「そんなに気になるなら、見てごらん」と居直った妻は、スカートをまくり上げて、パンツを履いていない下半身を6人にさらすのだが、このシーンも常盤では「なんだかなー」という演技だった。もちろん、カメラはその妻の背後にある。イタリア版では腰から上のショットになる。

 韓国版を見た。映画の結末がすっきりしない。日本版も同じだ。イタリア版も同じだったから、すっきりしないのがオリジナル版だったとわかった。すっきりしないというのは、こういうことだ。

 食事会でのスマホ遊びで、誰にも決して知られたくない秘密が暴かれ、友情や夫婦愛に大きな亀裂ができて、救いがたい状況になるのだが、食事会が終わると、まるで何もなかったかのように、皆にこやかに自宅に帰っていく。その夜は月食なのだが、月食が終わると、スマホが暴いたスキャンダルは「些細な事だから気にしない」となってしまうのは、どう考えても変なのだ。

 スペイン版は非論理的なのだが、うまい結末を作っている。月食の夜は、なんだか異常なことが起こりそうな雰囲気だという感じのおどろおどろしい映像で映画が始まる。なにかが起こることを予感させる絵作りだ。

 食事会のゴタゴタで、スマホに隠された真実が暴かれていくころ、外は嵐になっている。会のホスト夫婦の妻だったか夫だったかがが、ベランダに出て植木の片付けなどをしていると、暴風雨にあって気絶する。しばらくして気がつくと、嵐は止み、ベランダからダイニングルームに戻ると、「どこに行ってたんだ、食事が始まるぞ」の声。これから食事が始まる時点に時が戻っている。誰かのスマホに呼び出し音。ひとりが「ねえ、スピーカーフォンでしゃべる? 秘密がないならいいじゃない」と遊びの提案をすると、「ばからしい、そんなことはやめよう」と誰かが言い、「それもそうね」で終わる。かくして、それぞれの秘密が暴かれることはなく、闇に包まれたままの生活がそのまま続くというストーリーだったと、記憶している。スペイン版はマドリッドで見て以来見直していないので、記憶が薄いのだが、このスペイン版が「月食の夜の食事会と秘密」という演出がうまいと思った。

 ウィキペディアによれば、少なくとも15か国でリメイクされていて、世界でもっともリメイクされた映画ということで、ギネス公認だという。

 以下、参考のためにいくつかの国の予告編のリンクをあげておく。同じテーマで、少し構成を変えているので、比較文化論や比較映画論の研究テーマになると思う。日本版だとスマホを利用した詐欺が登場するしね。

フランス版“Le jeu

韓国版「完璧な他人」

スペイン版“PERFECTOS DESCONOCIDOS”

イタリア版“Perfectos Desconocidos”

メキシコ版“'Perfect Strangers' (Perfectos Desconocidos) ”

中国版「来电狂响」

日本版「おとなの事情 スマホをのぞいたら」

ベトナム版“TIỆC TRĂNG MÁU