1842話 時代の記憶 その17 仕事2

 

輪タクシー・・・戦後に、三輪乗用車があったのは知っているが、三輪自動車のタクシーが「半タク」の名で大阪で営業していたと、この本で知った。「昭和二十四年に大阪でオート三輪のトラック部分(シャシ)に、簡易の乗用車のボディを載せた三輪タクシーが走った。オートリキシャとも呼び、エンジン音が爆音だった」とこの本にあるが、当時「オートリキシャ」と呼んだというのは、どうかな? 昭和24年の日本で「オートリキシャ」という呼び名があったとすれば、私にとっては歴史的発見なのだが。資料出典は、『昭和―二万日の全記録』(講談社)と毎日新聞(2014年10月16日付けの「三輪タクシー」だそうだが・・・。

人力車・・・浅草で人力車が走っているのを見た。京都・嵐山付近で、客待ちしている人力車を見た。いずれも観光客用で、現在の日本ではかなりの観光地で人力車が営業しているらしい。そういう時代を迎える前に、人力車を見たことがある。赤坂の路地裏に停めてあるのを見ている。テレビの情報では、その当時、1980年代には新橋にも人力車があったらしい。芸者衆がお座敷に向かう乗り物として利用していたらしい。

都電運転手・・・路面電車の話は何度か書いた。全国にはまだ路面電車が残っているが、トロリーバスは日本から消えたと思う。外見はおもしろいが、乗ってみればバスで、電動だから電車のようだという乗りものだ。最近ではリトアニアで見かけたのだが、線路がある道を走るトロリーバスなので、どうやら路面電車の路線をバスに代えたような気がする。

バス・・・バスは戦前からあり、今もある。子供時代のボンネットバスを思い出すと、床が板張りだった。そこに塗る塗料が臭く、だから乗り物酔いをする人が多かったんだろうと推測している。バスから車掌がいなくなって、ワンマンになったのは1960年代かららしい。だから、私は車掌時代をかろうじて知っているが、特筆するようなことはない。この『仕事図鑑』には「バスガール」という見出し語がついていて、その言い方は知ってはいるが、私は「車掌」という呼び名を使っていたと思う。

渡し船の船頭・・・東京と千葉を結ぶ矢切の渡しは、今は観光用になっているが、実用そのままの渡し船は大阪などにいくらでもある。以前、そのうちのいくつかに乗ろうと思って出かけたのだが、ひとつも利用することなく時間切れとなって大阪を後にした。川に橋を架けると船の通行が不便になるので、あえて橋をかけていない。だから、渡し船を公道のルートと見なし、公道扱いで渡し船を運行しているから、乗船料金が無料なのだ。

井戸掘り師・・・その昔、1950年代にウチの井戸を掘ったのは業者だと思うが、井戸掘りに関する記憶はない。ただ、少年時代の私は、なぜか「穴を掘る」ということに強い関心があり、庭で穴掘り作業をしたことがある。宝探しといった目的があったわけではなく、ただ、穴を掘りたくて、60センチほどの穴を掘り、すぐに埋めた。高校時代に発掘作業員をやったが、そのときはもう「穴を掘る感動」はなかった。それでも、アフリカなどの、井戸の手掘り作業をユーチューブで何度も見ている。クワとバケツとロープだけの作業をじっと見ているのは楽しい。

質屋・・・今まで、一度だけ質屋に行ったことがある。ニューヨークで買った小型ラジカセを、ロサンゼルスの質屋で売った。その小さなラジカセは、香港製だったか忘れたが、チンケな製品で、100ドルちょっともした。当時のレートで2万5000円だ。日本製が良品だとわかっているが、高くてとても買えなかった。ロサンゼルスの質屋で15ドルで売った。毎日ラジオで音楽を聞いていたから、損をしたとは思わない。