1843話 時代の記憶 その18 仕事3

 

藍染め職人・・・日本では染物職人を見たことはないが、バンコクでは流しの染物職人を見たことがある。色は黒一色。住宅地を回って、客を探す。

桶屋(おけや)・・・テレビでは桶や樽作りの作業風景は見たことがあるが、実際に見たのは台北だ。林田桶店はまだあるのだろうか。

鍛冶屋(かじや)・・・職人の仕事を見ているのが好きだから、鍛冶屋の仕事は何度か見ているが、日本ではない。タイとトルコと、あとどこだったか。

アイスキャンデー屋・・・キャンディーではなく、「キャンデー」でなくてはいけない。奈良の田舎にいた1950年代、自転車の荷台に箱をつけたアイスキャンデー屋が住宅地にやってきて、路上に自転車を停めると子供たちがたちまち近寄ってきた。夏休みの風景だ。1本5円だったか。1回くらいは買ってもらったと思う。棒がついたアイスクリームは雑貨屋で売っていて、10円だったか。ここ10年くらいのことだが、夏になると、8本入りとか10本入りの箱入りアイスキャンデーをスーパーで買うようになった。暑い夏は、アイスクリームよりも、アイスキャンデーの方がいい。しかし、今年はアイスもなかを1度買っただけだ。

 タイでよく見たのは住宅地を流すのではなく、リヤカーに大きな金属の筒を積んで市場のなかを流すアイスキャンデー屋だ。筒の中に細い筒がいくつもあり、そこにアイスキャンデーが刺してある。大きな筒にはおそらく塩入り冰水が入っているのだろう。タイ語で「アイティム」はアイスクリームのことだと思っていたが、今調べてみると、アイスキャンデーも「アイティム」というらしい。

氷屋・・・昼の銀座を歩いていると、飲食店に氷を配達している風景を見かけることがある。冰屋がない地域では、店に製氷機を備えたり、コンビニやスーパーなどで売っている袋入りの冰を買うのだろう。

畳屋・・・昔は家の前で作業している畳屋を見かけたものだが、いまはトラックに積んで、作業場に持って帰って仕事をして、客の元に戻すようになっているようだ。

ポン菓子屋・・・コメに圧力をかけて膨張させた菓子のことで、奈良の村では「爆弾」と呼んでいた。空き地に業者がやってきて、「ポーン!」という大きな音を出して、菓子を作る。退屈な村の生活の大行事なので、ワクワクしながら見ていたが、このコメの菓子をうまいと思ったわけではない。私は、作業風景をただ眺め、できた製品を食べていただけだから、どういうシステムの商売だったかを知らない。客はコメを持ってきて、手間賃を払うのだろうか。ちなみに、ポン菓子に関する学術論文がある。

荒物屋・・・30代以下、あるいは40代以下だと、「あらものや」という読み方も知らないかもしれない。都市の古くからある下町だと、まだ荒物屋が残っていることもあるが、風前の灯火だろう。バケツやほうきやカゴやザルなどを扱う商店で、100円ショップとホームセンターに押されて、商売が苦しくなった。

電話交換手・・・奈良の村で住んでいた家の前に郵便局と電話局があり、たまたま遊びに行ったときに交換機を見た。ダイヤル直通ではないから、「〇〇の何番」と口頭で話したい相手の番号を言い、つないでもらった。大企業のビルの中に電話交換台があり、正月になると交換手が振袖を着て「仕事始め」の儀式をするというのが、毎年の1月初めの行事で、テレビや新聞のニュースンの決まり事だった。そういうつまらん儀式は1970年代に入ったらもう消えたと思っていたが、1970年代の「仕事始め」の新聞記事がある。

 1980年のアメリカでも、国際電話は交換手を通さないと通話できないので、公衆電話で交換手と何度も話をした。

 ここで、気分転換に、Jim Croceの“Operator”(1972)をどうぞ。