1451話 その辺に積んである本を手に取って その8

  ロマンチック街道

 

 深夜のNHKBSでヨーロッパを空撮した番組が何度も放送されていて、その1本を見て、「まあ、なんということでしょう」と、リフォーム番組のナレーションのような状態になった。雪のロマンチック街道の空撮映像を見て、「いいなあ、行きたいなあ」と思ってしまったのだ。

 旅を始めた20代のころ、旅したい国はいくらでもあったが、「行きたくないなあ」と思う国がいつくかあった。そのうちの2か国がドイツとオーストリアだった。風景だけでなく、感覚として「陽光」を感じないのだ。黒い雲が低く垂れこめて、「院院滅滅」の気分を表現しているようで、それはなにもドイツとオーストリアに限った話ではないのだが、なんだか寒くてつまらない国だろうと思っていた。興味がないから、ドイツを映像で見ることをしなかった。

 そう、つい先月までそう思っていたのに、おいおい、それがロマンチック街道だとよ、笑っちゃうぜという感覚だった。「雪のネルトリンゲンは美しいなあ」と、感じてしまったのだ。それで、すぐさま、『ドイツ・ロマンティック街道』(小谷明・阿部謹也・坂田史男・伊東智剛、新潮社、1987)を注文してしまった。もう少し建築の話が出てくるかと思ったが、詳しい説明がないから、うっかりするとドイツ建築史関連資料に手が伸びてしまうかもしれない。未読の本が山になっているのだから、これ以上はできるだけ本を買わないようにしないと。買うなら、神田神保町南洋堂で、現物の本を点検してから買いたい。

 ドイツの建築が気になったいきさつは、こういうことだ。

 まず、ドイツそのものに対する興味だ。若者の旅行史を探ると、たいていドイツに突き当たる。旅が人間を鍛えるという思想を制度にしたのが、放浪職人だ。中世から現代まで続いている職人養成システムだ。20世紀初めに、ワンダーフォーゲル運動とユースホステル運動が始まる。そういうことがわかり始めたので、いままで手にすることもなかったドイツ関連書をここ10年ほどの間に買い集めることになっていた。このテーマに関しては、このコラムの330話(2011-06-01)ほかで何度も書いている。

 チェコポーランドバルト三国の歴史を勉強すると、中世から近代にかけて街を作ったのはドイツからの移民だったということがわかった。当時のドイツ人はあらゆる方面のエキスパートで、医学や薬学をはじめ、土木・建築の知識と技術も、ドイツ人が抜きん出ていた。最近の旅は、結局ドイツ人が作ってきた街を見ていたのだとすれば、ドイツ本国の建築も見ておこうかという気分になってきたのだ。プラハで会ったドイツ人とプラハの建築の話をしていたら、「こういう建物はドイツにいくらでもあるよ」とあっさり言われて、「それなら見に行こうか」と思ったが、ドイツの滞在費は私には恐ろしく高いなあなどとためらいつつ、いつ行けるかもわからない未来の旅行のことを考えていたときに、深夜のテレビで雪のロマンチック街道を見てしまったのだ。

 ロマンチック街道に行ったことはもちろんないが、縁がないわけでもない。ライターを始めたころ、旅行パンフレットにちょっとした解説を書く仕事をもらった。例えば「エッフェル塔」だの「アンダルシア」だのといった写真に少し解説文を書く仕事で、そのなかに「ロマンチック街道」があった。ビュルツブルクからフュッセンまでの400キロほどの街道とその周辺の街を総称して、ロマンチック街道と呼ぶ。パンフレットの解説にどう書いたかは覚えてないが、波風立てないように気をつけて書いたと思う。「波風立てないように」というのは、このロマンチック街道もメルヘン街道も、その歯が浮くような名前に「ケッ!」となっていたからだ。「おお、恥ずかしい、ハズカシイ!」と思っていたが、波風立てることなく、仕事を終えた。

 そのころか、あるいは少し後になってからか、「ロマンチック街道の名は、『ロマンチックな映画』という意味のロマンチックではなく、単に『ローマに通じる道』という意味に過ぎない」という解説を読んだ。その説明を今まで信じていたのだが、今回ロマンチック街道について改めて調べてみたら、どうやら誤報のようだ。ドイツ観光局のサイトなどによれば、『地球の歩き方 ヨーロッパ』の1979年初版が誤報の発生源で、それをウィキペディアが盗用し、ドイツ観光局の訂正で2005年ごろまでに訂正されたという。

 ドイツ観光局広報サイト「ロマンチック街道の意味は?」

 ロマンチック街道とは、「ロマン主義的な街道」ということで、1950年代に観光目的のCMコピーだったらしい。しかし、世界の観光業者や観光客は「ロマンチックな街道」と誤解して、話題になったらしい。もしかすると、誤解されるのを見越してわざとこういう名前にしたのかもしれない。じつは、この「ロマン主義」というのも、わかったようでわからない用語で、西洋史が専門のある教授に、「ロマン主義を200字で説明してくださいと言ったら、どう説明しますか?」とたずねたら、絶句してしまった。ロマン主義は、場所と時代と分野によってさまざまな姿を見せ、理解するのはとても難しいのに、「男のロマン」などという表現とともに日常でもよく使われている。そして、残念なことに、「サルでもわかるロマン主義」といった本はないのだ。音楽の解説や文学の解説に「ロマン主義」が出てきても、「で、結局、全体として、ロマン主義ってなに?」なのだ。高校世界史の教科書にも「ロマン主義」がでてくるが、わかったようなわからない解説がついていて、やはりわからないのだ。   

 だから、「ロマン主義の街道」だと説明されても、私のボンクラ頭では「なるほど、そうなんですか」にはならないのだ。