1970年代は、私にとって「話の特集」と「面白半分」の時代だったとも言える。熱心に 雑誌を読んだのは、この10年間だけだ。以前も以後も、どんなジャンルの雑誌であれ、雑誌というものをあまり読んでいない。「話の特集」の常連で、この雑 誌を読む以前からすでに知っていたのは永六輔、小沢昭一、井上ひさし、竹中労などだ。「話の特集」で初めて知ったのは、まだ普通の服装と普通の髪型をして いた植草甚一と篠山紀信など数多い。のちにマスコミの中央で脚光を浴びる若きカメラマンやデザイナーなども、ほとんどこの雑誌で知った。
1970年代初めに、カトマンズのイラストマップを載せたのも「話の特集」で、そのページをコピーして、ネパールに持って行ったのは1973年だ。前回 に書いたように、鶴見良行や竹中労なども含めて、私の旅やその後の読書傾向に大きな影響を与えたのは、「話の特集」だといっていい。いま思い出したのだ が、原宿セントラルアパートの話の特集編集部に、一度だけ行ったことがある。長くなるので、いまはその話はしない。
私の旅に多少なりとも影響を与えた雑誌をもう一冊あげれば、西江雅之、山口文憲、玉村豊男などの文章に初めて出会い、開高健や金子光晴などを熱心に読む きっかけになった「面白半分」も、影響力はあった。そのあたりの話は、この「アジア雑語林」ですでに書いた。そういえば、面白半分編集部にも行ったことが ある。中央線沿線散歩をしていて、偶然、編集部のある建物を見つけ、バックナンバーを買いに寄ったような気がするが、はっきりとした記憶ではない。
「話の特集」や「面白半分」ほどの影響力はなかったが、山と溪谷社が出していた雑誌「現代の探検」も読んだ。創刊は1970年で、1972年にわずか8号で休刊している。
振り返れば、1970年代前半は「探検や冒険の時代」とでも呼びたくなる出版事情だった。すでに出版されている探検記・冒険記・旅行記などを編集して構 成したのが、1970年の『現代の冒険 全8巻』(文藝春秋)。1972年には、オリジナル原稿で構成した『探検と冒険 全8巻』(朝日新聞社)がでてい る。なぜか、「現代の探検」も8冊で終わっている。
「現代の探検」を読みたくなったのは、70年代後半だろうと思う。私は、都会で勝手気ままにグータラとしているような旅が好きなので、徒党を組んで辺境 に行く探検隊には興味がない。だから、異文化体験の資料として読みたくなったのか、あるいは読みたい記事が載っていることを知ったからかもしれない。その 理由は覚えていないが、その雑誌を読みたくなって神保町の古本屋で探すと、定価の2倍か3倍、1500円から2500円くらいはしていた。読みたい記事は あるが、高すぎる。2冊だけ買った。こう書いて、いま、「現代の冒険」が置いてあった古本屋の姿を思い出した。70年代だと、神保町の古本屋も、当時はま だ木造が多く、古本屋なのに平台があった。そういう話を始めると長く脇道にそれるので、話を戻そう。
1970年代末に、私は駆け出しのライターになっていて、山と溪谷社で仕事をする機会があった。編集者と雑談をしていて、神保町では「現代の冒険」に高い値がついているという話をした。
「読みたいですか?」
その編集者がいう。
「はい、できるなら」
「どっかに、まだ、あるかもしれないので、探してみましょう。あれば、あげますよ」
編集者はそういって、自分のロッカーからバックナンバーを何冊か取り出した。
その編集者が、偶然にも「現代の冒険」の編集者だった。出版業界に首を突っ込んでいて良かったと思った瞬間だった。
なぜこういう話をしているかというと、その「現代の冒険」が休刊になってすぐ、その山と溪谷社が、単行本で「現代の旅シリーズ」を刊行したからだ。編集者は多分同じだろうが、彼の名を覚えていない。
「現代の旅シリーズ」の話は、次回に。
P.S. 今、ネット古書店で、この「現代の冒険」を調べてみると、1冊1000円程度で手に入ることがわかった。「全8冊揃いで5000円」という古書店もあり、思わず注文しそうになってしまった。