1835話 時代の記憶 その10 通貨と単位

 

 1970年に、高校の修学旅行で関西に行った。京都で、級友がお釣りで100円札をもらったと見せたとき、みんな「まだあるんだ、なつかしいなあ」とか、「田舎から来た修学旅行生が持ってきた小遣いかな」などといった。当時の高校生が「懐かしい」というのが、100円札だ。

 紙幣硬貨の一覧表を見ながら、私の記憶にある貨幣を追ってみる。

板垣退助の100円札が発行されたのは、1953年だ。発行停止は1974年だから、1970年に100円札を手にしてもおかしくはないのだが、私の周りでは、100円はすでに硬貨だった。稲穂の100円硬貨が発行されたのは1959年で、現在の桜花の100円硬貨は67年からだ。

 硬貨の一覧表を見ていると、1948~49年発行の、穴なし5円を見た記憶はある。55年~58年発行の穴なし50円の記憶もある。現在でも、「昭和」と刻印してある硬貨が流通しているのだから、発行後10年や20年たった硬貨を見かけても不思議な出会いでけっしてはない。

 紙幣では、どうだ。岩倉具視500円札は、1951年から発行したものと、69年から発行したものがあるが、私が見たのがどちらか記憶にないが、「使った記憶がある」ということで言えば、69年から発行したものだろう。

 私にとって1000円札と言えば63年発行の伊藤博文だが、「1000円札が変わった」という記憶があるから、1950年から発行した聖徳太子の時代も重複して記憶しているようだ。5000円札と1万円札が聖徳太子時代は覚えているから、これ以後の紙幣も見てきたことになる。

 ここからは、単位の話に入る。

 日本がメートル条約に加盟したのは1886年で、少しづつメートル法が入っていたが、計量法によって、本格的にメートル法が実施されたのは、1959年だった。この年から、日本全国どこででもメートル法が採用されたわけではないが、学校教育ではメートル法だった。学校以外では、尺貫法はまだ堂々と生きていた。裁縫をする母が使っていた竹の物差しも、日曜大工をする父の曲尺も尺貫法だと小学生の私が気がついたのは、物差しの目盛の間隔が見慣れないからだ。

 今でも、呼び名として、酒の「一升」、「一合」、「五合」は地域によって「ごんごう」などは残っている。一升瓶という名は残り、「1.8リットル瓶」とはニュース以外では言わない。不動産の「6畳」や「38坪」という呼び名は、やはりまだ残っている。

 子供の頃、耳にした単位で、「これは消えたな」と思うのは、匁(もんめ)だ。フリガナをつけないと読めない人も多いだろう。メートル法に換算すれば、3.75グラムだ。何かを少し買うときに、「200匁ほどちょうだい」などと母が言っていたのを覚えている。匁は記憶にあるが、斤(きん)を使っている現場の記憶があるのは台湾だ。日本ではない。今でもパンの単位として「斤」(きん)を使うが、1斤は600グラムのことだから、1斤のパンが600グラムあるわけではない。日本パン公正取引協議会が、「包装食パン1個の重量が340g以上のものについては、『1斤』と表示する」と決めただけで、1斤=600グラムという重量表示とは関係ない。

 それにつけても、アメリカの「ヤード、ポンド、オンス、華氏」などは困ったこのだ。アメリカ人には、「世界標準」などと言う語を使わないでいただきたい。