1679話 「旅行人編集長のーと」に触発されて、若者の旅行史を少し その27

 戦後旅券抄史 5

 

 

 私が作った旅券関連年表から、興味ある項目を書き出してみる。本文レイアウトがおかしいが、私の能力では修正できないので、あしからず。

1977.9.28 バングラデシュダッカで、日本赤軍によるハイジャック事件が起こった。この時代世界各地でハイジャック事件が起こり、77年12月に旅券法が改正されているが、それがどのような改正だったか具体的な対策はわからない。

1978.5. 1  旅券発給手数料が、一次旅券が3000円から4000円に。数次旅券が6000円

から8000円に値上げ。

1978.5. 20 新東京国際(成田)空港開港・・テレビのバラエティー番組で、「千葉の成田にあるのに、なぜ新東京国際空港なんだ」という嘲笑がお約束になっているが、羽田が東京国際空港で、その新空港が成田にできたという意味だ。

1978. 5.10 パスポートの表紙の色が紺から赤に。ページ数が36から40ページに

増える。(世界を飛び回る業務渡航者へのサービスか?)。

1983.5. 26 パスポートのページ数が40から24ページに減る(5年後の朝令暮改

結局、ほとんどの人はパスポートの全ページがスタンプで埋まるほど旅行はしないと

いうことだ)。

1988.1. 1 更新できる切り替え残存期間が6か月から1年に延長。

1988.4. 1 一般旅券の一次旅券を廃止し、数次に一本化(バブル期に入り、「海外

旅行は生涯にたった一度」ではないと、政府がやっと認めたということか)。  

渡航費用の支払い能力を立証する書類の提出廃止(まだ、そんな書類があったのか?)

  合冊制度の廃止(パスポートに余白ページが無くなってくると、白紙の冊  子と合わせて綴じる「合冊」というものがあった。私はナイロビでやった)

1991.4. 1 渡航先」の欄が、従来の”This passport is valid for ALL COUNTRIES AND

AREAS EXCEPT NORTH KOREA.(MINISTRY OF FOREIGN AFFAIRS)から、”This

passport is valid for all countries and areas.”に変更。

1992.4 .24 旅券手数料、8000円を10000円に値上げ。

1992.4. 8  更新の場合、戸籍謄本(抄本)の提出省略が可能に。

1992.8. 31 写真サイズが5×5cmから4.5×3.5cmに変更。

申請書の「身長」の項目削除。

1992.11. 1  機械読取旅券(MRP)導入

     表紙が赤から濃紺に、24ページが32ページに。

     大きさが、タテ155×ヨコ97mmが、タテ125×ヨコ88mmと小さくなる。

1995.3 .8 10 年有効旅券を新設(表紙:赤色、ページ数:48 ページ)。手数料15000円。

  5年間有効旅券は10000円。12歳未満の子のパスポートは5000円。

2000.4. 1 氏名のローマ字表記に「OH」認める。小野も大野もOnoと表記するという 

規定が、希望すればOhnoも認めるということ。大原はOhharaか?

2005.6 10 IC旅券導入

発給手数料値上げ。10年16000円、5年11000円

2009.3. 1 1975年から始まった自分宛のハガキ提出が廃止に。

以下、デジタル化の動きが激しいので、もうこれ以上は書かない。     

パスポートとは関係ないが、その昔、日本を出国するさい、「携帯出国証明書」を渡された記憶がある。書類の名称はときにより変わったと思うが、高額な製品、例えばアクセサリーや高価な時計などを出国時に申告しておかないと、帰国時に「外国で購入したもの」とみなされて課税されることがあった。私には関係のない書類だが、いつの間にか渡されなくなった。

もうなくなったのかと思い調べてみると、税関の資料に今も「外国製品の持出し届」があることがわかった。高い腕時計を見せびらかしている芸能人やヤクザには必要かもしれないが、バブル経済とブランド品ブームが終わった今、一般人にはほとんど縁のない書類かもしれない。