678話 きょうも散歩の日 2014 第36回

 髪の色

 スペイン村カタルーニャ語で、Poble Espanyol)は、スペイン各地の建物を集めた野外の建築博物館なのだが、私にスペイン建築の基礎知識がないので、地域名だけの表示ではそれぞれの違いがよくわからなかった。壁を漆喰で塗った白い家は、スペイン南部アンダルシア地方の家だろうと想像がつくが、地域による石積みの家の違いとなると、私の基礎知識ではどうにもならない。スペイン建築の解説冊子は売っていない。オーディオ・ガイドを借りておけばよかったと反省した。
 私がここに来た日は、運悪く小中学生の勉強会を行なう予定になっていたようで、旅行のオフシーズンというのは、こういう不幸が続く。小中学生が園内でいくつもの輪をつくり、教師の話を聞いている光景を眺めていて、「ああ、そうか」と気がつき、かつてリスボン万博記念公園「国際公園」でも同じような光景を見て、同じように「ああ、そうだったのか」と気がついたことを思い出した。
 子供たちを眺めていて気がついたのは、その多くは黒い髪で、一部に明るい茶色がいて、ほんのわずかブロンドがいる。その比率が、街で出会う大人の髪の色とはだいぶ違う。10代後半以降、女の黒髪が減っていくのだ。スペイン村に来た中学生の団体を見ると、小学生の団体とは明らかに違う。女の子だけ髪の色が明るくなる。逆に言えば、真っ黒の髪をした子供の比率が減るということで、これはポルトガルもスペインも同じだ。
 日本の若者が盛んに髪を染め始めた頃、若い社会学者だったかが、「髪を染めるのは西洋人への憧れだなどとバカなことを言っているヤツがいるが、服を着替えるように髪の色も変えてみたいというだけのことだ」などと言っていて、社会学者ってホントにアホだなと思ったことがある(匿名にしたわけではなく、名前を覚えていないだけだ)。
 日本人が髪を染めるのは、白髪染めを除けば、そのほとんどは西洋かぶれである。紅毛碧眼の西洋人みたいになりたいという感情の表れである。服を変えるように、ただ髪に色をつけたいというだけのことなら、ピンクや青や白や緑の髪があっても良さそうだが、現実にはブルーネットやブロンドだ。虹色に染め分けたり、シマウマ状に染めるという人は少ない。後ろから見たら西洋人に見える髪の色が好みなのだから、西洋人への変身願望の表れと見るのが順当である。顔の整形も、二重まぶた、高い鼻など、西洋人の顔に近づけたいというのが、アジア人の美容整形である。
 黒い髪の人にとって、黒は「劣性」であって、ブロンドは「優性」だという意識があるようで、黒い髪を明るくしたいという願望があるようだ。これは髪だけのことではなく、肌の色も同じで、黒は劣性、白は優性という意識がある。鼻は高い方がいい。背も高い方がいい。そういう意識が、アジアの美容整形を支えている。
 だから、スペインでもポルトガルでも、小学生時代は黒髪がほとんどなのに、女の子の髪がだんだん茶色っぽくなっていくのがわかる。「髪の色は年齢によって明るく変化し、それは女子にだけ現れる現象である」ということはないだろう。勘だけで言うのだが、北欧のブロンドの女性は、黒髪に染める人が多いという現象はないと思う。ブロンドが「優性」だと思っているからだ。
 ただし、鼻の高さは別で、アジア人は鼻を高くするのに対して、西洋人のなかには鼻を低くする手術をする人もいる。高い鼻は、誰にとっても「優性」と言うわけではない証拠だ。
 というようなことを考えながら、この建築博物館を散歩していた。髪の色に関する私の仮説の最大の欠点は、スペインの通りを歩いている人がすべてスペイン人ではないことだ。特にバルセロナは外国人率が高い。説得力に欠ける仮説である。ひとり旅には、そういう妄想思索の時間がたっぷりある。自分が話し手であり聞き手でもある自問自答の日々なのだが、考える時間はいくらでもある。