路上では
道行く人の行為でもっとも気になったのは、歩きタバコだ。タバコを指で挟んで、腕を振りながら歩くと、ちょうど子供の目の位置にくる。タバコを持っている人は話に夢中になっていて、指先に火を持っていることを忘れている。
歩きタバコはマナーの問題なのだが、それとは別に気になるのは、ヨーロッパではこれほど多くの人がまだタバコを吸っていたのかという驚きだ。前回スペインに来たときは、私はまだタバコを吸っていて、だから全く気にならなかったのだが、タバコを吸わなくなると、タバコを吸っている他人が気になる。非難しているのではなく、単純に、タバコを吸っている人の数の多さに驚いたのである。路上で見る限り、喫煙者は日本よりも、はるかに多い。
前回のマドリードの空港を思い出す。バンコクから長時間吸えないままローマの空港に着いたが、空港のどこを探しても喫煙所は見つからず、我慢したままマドリッドの空港に着いた。バスでターミナルに向かった。ターミナルの建物に入ってしまえば外に出るまでタバコを吸えないから、いままで我慢していた人たちは、建物の入り口前の喫煙所にかたまり、うまそうにタバコを吸っていた。私もゆっくりと2本吸って、空港ビルを出るまでまたしばらくは吸えないのだと覚悟して、空港ビルに入ると、そこは紫煙立ち込める空間で、「場内禁煙」ではなかったのだ。
あれから十数年たち、スペインでも建物内ではあまり吸えなくなったようだが、そのことと路上喫煙はあまり関係ないと思う。カフェでも路上の席ならタバコは吸えるし、室内の席にもテーブルに灰皿を置いている店はいくらでもある。日本のサラリーマンが、オフィスで吸えないからビルの外に出てきて、歩道で吸うというのとは違う。
スペインではタバコが安いというわけではない。5€前後が最低価格だと思うから、交換レートにもよるが、日本よりも高い。単なる印象でしかないが、路上喫煙者には外国人観光客が多いように思う。ということは、飛行機でここにやってきた旅行者が、免税のタバコをバッグに入れてきたということかなどと、想像をめぐらすのだが真相はわからない。
路上の乞食も気になった。そのほとんどはリュックを脇に置いた旅行者の姿をしている。私が見た限りだが、観光客が多い場所で商売をしている乞食は、非スペイン人が多いように思う。警察の取り締まりとの関係があるのだろうか。紙にマジックで、「おなかがすいています・・・」などと泣き言を書いて、小銭を恵んでもらおうという魂胆である。何かの事件や事故で所持金を失くしたというのではなく、多分それが彼らの生業(なりわい)なのだろう。インドでは赤ん坊を抱いて、道行く人の同情を誘う乞食がいるのだが、ここでは犬を連れている乞食が少なくない。「この犬の食事を・・・」と、犬好きにすがろうという作戦らしい。そういう乞食とは別に、犬を連れた旅行者もときどき見かけた。自動車を利用すれば、ヨーロッパ大陸のどこからでも、愛犬を連れて旅行できるのだ。
路上の音楽家は夏なら多くいただろうが、私が旅した秋は雨も多く、地下鉄の通路や車内が多かった。楽器別では、大観光地では許可を受けているわけでもないだろうが、ご存じ「アランフエス協奏曲」(ホアキン・ロドリーゴ)を演奏するクラッシックギタリストがいる。ちなみに、今ちょっと気になってこの曲名を調べてみたら、原語はAranjuesだから、一般的によく使われる「アランフェス」よりも「アランフエス」と書いた方が少しは原語に近い音になり、ウィキペディアなどはこちらを採用していることがわかった。
地下鉄駅や通路などでは、電気ギターのソロが多く、サックスやフルート、歌とアコーディオン(シャンソンを歌う)というのもあった。電気ベースのソロというのもあったが、それでは客を集めるのは苦しい。弦楽四重奏は音楽学校の学生たちの小遣い稼ぎだろと思うが、ほかは本業だろう。はっきり言って、音楽の素人の私にでも「ヘタだなあ」とわかるほどヘタだ。それで思い出すのは、ニューヨークだ。その昔、ニューヨークにジャズの勉強に来ている日本人ミュージシャンとマンハッタンを散歩していたときのこと、公園などで多くの路上ミュージシャンが演奏していて、私の耳にはそれほど悪くないように聞こえるのだが、プロの耳にはどう聞こえているのか知りたくなった。
「ええ? あの人たち、うまいかって? うまけりゃ、こんなところで演奏してないですよ」
プロのレベルには、とうてい届いていないということか。そうだろうなあ。