392話 誰にも明日は見えない  3/5

 大きな病院に着き、受付で要件を話し、クリニックから託されたレントゲン写真などを渡した。
「救急処置室の前でお待ちください」
 受付でそう言われたが、10分待っても、20分待っても、私の診療はなかなか始まらない。どうなっているのか気になっていると、「前川さ〜ん。前川健一さん、いらっしゃいますか!という大きな声が、廊下の端から聞こえてきた。立ちあがって「はい、前川です」と手を挙げると、白衣の人たちが慌てて駆け寄ってきた。
「そこにいたんですか? 救急車で来るものだと思っていたので、救急入り口でずっと待っていたんですよ。さあ、処置室に入ってください」
 処置室のベッドに寝かされ、たちまちコードと管の人になった。見慣れぬ機械とつながれ、レントゲンの機械もこの部屋にやってきた。以前に診察を受けたときは、レントゲン室に行ったのだが、今度は機械の方がわざわざやってきた。モシカシテ、ワタシ、カナリ、ワルイノカ?
 こののんき者にも、緊急事態だということがややわかり始めたのは、救急処置室のあと、ベッドに寝たままエレベーターに乗せられ、運び込まれた部屋に「ICU」という表示が見えたときだ。Intensive Care Unit (集中治療室)に運ばれたということは、軽い病気じゃないということだ。ベッドの両側はカーテンで仕切られている。足先の向こうに、入り口ドアが見えたが、メガネをはずしてからは、視界に入っているのはカーテンと天井だけになった。ここでも、さまざまな検査を受けた。
 しばらくして、医者は紙に書いた図を示して、病状の説明を始めた。「心筋梗塞です」と言ったが、それがどういう病気なのかほとんど知らない。詳しく説明してくれたが、情報がなかなか頭に入っていかない。医学用語が出てくると、脳はとたんに理解を拒否してしまう。裸眼では、医者が示した図がよく見えないので、頭を持ち上げてよく見ようとしたら、「頭をあげないで!」と強い注意を受けた。「寝返りも打たないでください。このまま、じっとしていてください。それから、ご家族に連絡したいので、連絡先を教えてください。こちらで電話しますので、電話番号を・・・」
 オイオイ、ワタシハ、ソレホド、ワルイノカ?
「体が悪い」という実感が、当人にはまるでないのだ。ベッドで寝ている限り、苦しさなどまったくない。どこか痛いとか、不快感があるとか、体が重いなどといった自覚症状がまったくないのだ。横になっていると、自分が病人だとは、まったく思えない。だから、なんだか夢を見ているような気分だった。回りのあわただしさに比べて、患者ということになってしまった私自身は心も体も、いたって平静・平穏に感じられるのである。その落差が大きすぎる。
 自覚症状がなくても、やはり、病気だったのだろう。普通なら、ベッドの上であたかも硬直したように、手足を伸ばして長時間寝ていることなど、とてもできない。眠くもないのに、ずっと寝ていなさいと言われるのはつらいものだが、このときは、いつの間にか寝ていた。目が覚めても、すぐに、また、眠りについた。服が脱がされ、病院のパジャマに着替えたという記憶はあるが、私はただ寝ているだけで、何もしていない。
 病気だから寝ていたのか、あるいは睡眠導入剤のようなものが点滴されたのかわからないが、退屈することもなく、ひたすら眠った。夜になると、ちょっと照明を落とすという程度の違いがあるだけで、時間の感覚もなくなった。食欲も、水分を取りたいという欲望もない。本を読みたいとか、音楽を聞きたいとか、テレビを見たいという欲もない。タバコを吸いたいという欲求もない。何の欲望もない。ありとあらゆる欲望から解放されて、これは「悟りの境地に入った」というのだろうか。聖人になったのだろうか。
 たったひとつの喜びは、絶えず私の世話を焼いてくれる看護師さんたちが、みな美人に見えることだ。私は極度の近視なので、人の顔などまったく見えないが、声の感じで、みな美人だと決めてしまったのだ。見えないと、聴覚が研ぎ澄まされて、妄想に結びつく。ICUだから当然なのだが、24時間たえず自分のことを気にかけてくれる人がいるということは、心の安らぎである。
 入院2日目も検査をやり、3日目にはいよいよ手術室に行くことになった。この時が、生まれて初めての入院であり、初めての手術室体験である。