393話 誰にも明日は見えない  4/5

 心筋梗塞とはどういう病気なのか、素人の私が説明して間違えるといけないので、ここで解説はしない。ただ、ごく簡単に言えば、心臓の上から出ている冠動脈という血管が細くなり、詰まれば血が流れなくなり、死に至る病だ。胸に死ぬほどの痛みを感じて、すぐに死ぬそうだが、そうなる寸前に私は病院のベッドに寝ていたというわけだ。
 私の治療は、手首か鼠径部(足の付け根)から、先が風船のようにふくらむカテーテルという細い管を心臓近くまで入れる。カテーテルの先の風船部分にステントという網状の管をつけ、細くなった血管の内側に入れる。カテーテルは管だから、空気を送り込むと先の風船が膨らみ、ステントも膨らみ、血管も広がる。細くなった血管を内部から支えて広げる処置だ。
 このステント挿入に、1時間くらいかかっただろうか。痛みはほとんどない。ステンレスの手術台が冷たかったことと、全身麻酔ではないので、手術室の天井は見えているし、会話も聞こえるのだが、どういう景色なのかまったくわからない不安もある。それでは、大画面のモニターで、管が体内に入っていく過程をじっくりと見られれば安心なのかというと、まあ、それも、いやだなあと思うわけで、ああ、いま、心臓近くまで管が入っているのだなあという感覚はまったくないが、想像だけはしていた。
 その日はICUに戻り、翌日か翌々日に一般病棟に移った。このあたり、時間の感覚もないので、はっきりした記憶がない。ICUは出たが、歩くことは禁じられ、導尿管カテーテル尿道に差し込まれているままだ。消化器に問題はないので、食事は普通に食べられる。幸か不幸か、便秘していたので、おまるを使う事態にはならなかった。その翌日には、トイレに行くくらいは許されて、退屈な入院生活が始まった。
 そう、健康になれば、病院は退屈なところだ。本を片っ端から読んだ。こういう機会に外国語の教科書を読むとか、古文や漢文の本などを読んでいれば、恰好の時間つぶしになりそうなのだが、そういう退屈な本を読む気にはなれず、軽いエッセイや対談・座談会の本ばかり読んでいた。読書に疲れると、ラジオを聞いていた。
 なぜ私は、あの日に死ななかったのか。医師の話などを総合して考えてみると、次のようになるようだ。
◆私は売れないヒマなライターだ。私が、もし、世間並みに忙しいサラリーマンなら、打ち合わせ、交渉、調査、出張などを繰り返し、よほど体調が悪くならないと病院には行かなかっただろう。無理して、仕事をしていたに違いない。幸か不幸か、私はヒマなライターなので、「よし、病院に行くぞ」と決めれば、いつでも行けた。だから、発作前に病院に行くことができた。
◆完璧な医療設備と医療関係者の存在があった。私の症状を素早く見抜き、適切な処置をしてもらったことに感謝している。死亡率30〜40パーセントの病気であり、血管が詰まってしまったら、10〜20分以内に処置をしないと死ぬ。運が良くても,脳に障害が残ることがある。だから、これが旅行中だったらと考えると、恐ろしい結末がすぐ浮かぶ。いま流行の「たとえ貧しくても、心豊かな国」にいたら、きっとその地で寿命が尽きただろう。アメリカにいたら、医療費が払えなくて、多分、同じ運命だったかもしれない。
◆高血圧や糖尿病などとは無縁の健康体だったことで、合併症を併発しないですんだ。絶えず健康に気を使っていたわけではない。定期健診など1度受けたことがあるだけだ。自分の血圧がどのくらいなのか、まったく知らない。体温以外、知らない。だから、たまたま健康だったという幸運に救われたにすぎないのだ。
 2週間ほど入院して、退院した。以後は、何の問題もない。タバコは入院することになったあの朝以来、まったく吸っていないが、その話は、いずれ、またの機会に。