1809話 雑話の日々 その1

 

無能なデザイナーをクビにしたい。

 デザイナー、特にインダストリアル・デザイナーに殺意を抱くことがある。例えば、こういうときだ。

 店でシャンプーを選ぶ。まったく同じ容器に入っているふたつ。ラベルデザインもまったく同じで、これはどう違うのかとよく見ると、タテヨコ2ミリもない極細の文字で、「シャンプー」と「コンディショナー」と印刷してある。その文字以外、デザインはまったく同じなのだ。「できるだけわかりにくくする」というのが、デザイナーの意図だと思われる。

 風呂場ではメガネを外している。近視、乱視、老眼、弱視など、視力に問題のあるすべての人をあざ笑うかのようなデザインなのだ。一部には、シャンプーとコンディショナーの違いが触ってわかるように。ふたの部分にデコボコをつけているという新聞記事を読んだことがあるが、全体的にいうとデザイナーどもが「かっこいい」とするデザインが重要で、消費者の使いやすさなど考えていない。「文字は、細く、小さく、余白を多く」というのが、もう何年も前からの流行のようだ。デザイナー側の「かっこいい!」に、営業側が負けたのだ。

 ウチの風呂釜が壊れたので取り替えたら、同じメーカーの製品なのにコントロールパネルも取り替えることになってしまった。パネルの大きさは同じなのだが、文字が小さくなって余白が多くなった。文字は以前よりずっと細くなり、スイッチの配置も変わったので、文字を見ないと操作できないのだが、パネルに顔を近づけないと読めない。あまりにひどいので、メーカーに電話したら、太文字で印刷したシールを送ってきた。これをボタンに貼れということらしい。これが風呂のリモコン。「大きなボタンとシンプルな画面」の真実は「大きなボタンと読めないほど小さな文字と無駄な余白」。

 数年前に買ったビクターのステレオの文字も、虫眼鏡を使わない読めないほど小さい。「老眼になったからだろう」と言う人がいるだろう。たしかに、老眼だ。しかし、昔は文字がこれほど小さくなかった。これが、ビクター・ケンウッド製品。デジタル画面に、もっと小さな文字が現れるが、読めない。

 消費者向けの製品を作っているすべての会社は、デザイン副部長を定年退職者にしろ。あるいは、弱視の人を採用しなさいと言いたい。デザイナーの思い上がりを許してはいけない。「ハズキルーペを買え」という問題ではない。

 考えてみれば、「字が小さい」と思ったのは、最近のことではない。平凡出版や集英社の若者雑誌が出てきたとき、つまり、ananやnonnoやpopeyeが出てきたときに気がついたのは、小さい写真が多く、その写真に極小の文字で説明が入る。紹介している店の住所や電話番号などがぎっしり詰まっているのが、デザイナーたちの「かっこいい」なのだろうが、当時20代の私は、「かっこいい」とはまったく思わなかった。

 外国を扱った雑誌記事で、空白部分に飾りの外国語を入れたものがあり、ハングルやタイ文字が上下逆だった例もある。外国語は、飾りなのだ。これが、デザイナーの浅はかさ。

 文字の問題ではなく、写真の色もずっと気になっている。例えば、たまたま見つけた観光サイトらしいTHE GATEに載っている写真の人工的な色を気持ち悪いと思うのだが、ネット上の観光写真の多くが赤や青が強調されていて、気味が悪い。

 あるいは、このサイトに出てくるシンガポールの写真の不自然さや奇妙さが気になる。この手の写真が非常に多いということは、加工されたこういう写真が「美しい」と思う人が増えたということなのだろうが、私は1950年代の「総天然色」時代の配色の悪さを感じて、落ち着いていられない。

 以前、クラマエ師からタイ旅行を扱った雑誌をもらったことがある。「記事がつまらないだけでなく、写真も汚い」と言ったら、デザインのプロは、「何を言っているんですか、これはすごい技術なんですよ!」と私の無知を指摘したが、私にはただの「写真を汚く加工した、汚い誌面」にしか思えなかった。小さい文字にしても、私が時代遅れなのだろうが、「時代遅れで悪いか!」と居直りたい気分ではある。弱視者にも見やすいデザインを、デザイナーは「時代遅れだよ!」とバカにするのか。