1331話 スケッチ バルト三国+ポーランド 50回

 自主管理労組「連帯」

 

 ワルシャワ中央駅の北側は、ゴチャゴチャした住宅地だったり、スターリンの権威を見せつめる文化科学宮殿のような大建造物があったり、戦後に復元した「旧市街」があったり、ガラス張りの高層ビルがあったりと様々な顔を見せるのだが、駅の南側はかなり違う顔をしている。大使館や公館や公園があるよそ行きの顔をしている。公園をめざして歩いていたら、ちょっとした広場の一角に、ドナルド・レーガン銅像が建っていた。昔の共産圏では、アメリカは自由のシンボルであり、反共産党政権の希望でもあったことがよくわかる。

 古い建物の前で写真展の準備をしていた。抑圧から解放に向かう1980年代の写真が展示されている。

 当然だが、労働運動の、あるいは反政府運動の“ワレサ”の顔が見える。もしかすると、ポーランド以外ではほとんど知られていないかもしれないが、じつは“ワレサ”は ワレサではないという話から始めよう。

 労働運動の指導者であり、ポーランド第2代大統領になり、ノーベル平和賞を受賞した男はワレサではない。その男の名は、Lech Wałęsa(1943~ )という。その発音をやややさしいローマ字表記にすれば、Lech Vawensaになる。wはvの音だ。この雑語林の1327話で書いたように、lに斜めの棒がついているłはwの音になる。eにヒゲがついたęは“en”になる。したがって、レフ・ヴァウェンサになるのだが、私はヴ(出版業界では、ウ濁点という)は使わないので、わたし流のカタカナ表記ではレフ・バウェンサとなる。これが、元大統領の名前である。ところが、非ポーランド人ジャーナリストがWałęsaを、Walesaと読んでしまい、日本人ジャーナリストはその英語の記事を読んで、何も考えずに「ワレサ」とローマ字読みしてしまったというわけだ。

 

 1989年、ポーランドソビエトの支配から解放された。あれからちょうど30年という写真展だろう。昨年のチェコもそうだが、ちょうどいい時期にこの地域の旅ができた。

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  反政府運動の闘士から首相となったマゾベッキの顔が見える。

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 この横断幕のロゴデザインは、よく覚えていた。

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 外国メディアが、中央の人物をWALESAと表記した例。以後、彼は国外で「ワレサ」と呼ばれるようになる。サングラスの人物は、ソビエト支配時代の首相で、解放後の初代大統領ヤルゼルスキ(1923~2014)。

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 ポーランド解放を支持したスティービー・ワンダージェーン・フォンダの顔も見える。

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 1989年12月31日。ソビエトから解放されて初めての大みそか。警察が市民の抑圧者ではなくなった喜び。

 

 

 散歩の話に戻る。

 その写真展を見たあとも散歩を続けて、広大な公園にたどり着くと。まったく偶然なのだろうが、「連帯」の路上集会をやっていた。旗のロゴは見覚えがある。デザインされた文字はSolidarnośćで、1980年代末の日本のテレビやラジオで「ソルダルノスチ」のような音だったのではないか。過去だと思っていた出来事が、今も現役なのだと気がついた。

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 なにかの集会かと思って近づくと、あの「連帯」のロゴが見えた。

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 残念ながら、具体的に何を訴えているのかはわからない。動員数はさほど多くない。


  帰国して、ポーランドの現代史を復習していて、「今の香港に似ている」と思えてきた。1980年代のポーランドの反共産党政権運動は、勢いが増すと、国境を越えてソビエトが侵入し強固な支配をすることは、1956年のハンガリー動乱、1968年のチェコ事件でわかっている。反政府運動は、やりすぎると不幸な結末になることを、政府側も反政府側もわかっていた。まさか、ソビエトが崩壊するなどと考えられない時代なのだ。