394話 誰にも明日は見えない 5/5

 入院中の食事に、取り立てて不満はなかった。もちろん、うまい飯ではなかった。病院でなくても、社員食堂や独身寮の料理のような大量生産の料理もその食器も大嫌いだが、長年の旅行体験のおかげで、選択の余地がない場での適応力はあるので、「しかたがない」とあきらめていた。心臓以外はいたって健康なので、食事の質や量に一切の制限がないことに感謝しなければいけない立場なのだ。「塩分控えめ」とか「ミキサー食」という患者もいる。この病院には、点滴だけの患者もいるのだ。だから、毎食、誰の介助も受けずに、自分ひとりで食事らしい食事ができるということだけでも、ここではなかなかの幸せなのだ。
 だから、「すしを食いたい」とか「インド料理を食いたい」といった欲求はまったくなかった。そういう欲求を持たないように気分をコントロールしていたわけではなく、無欲の人になっていたのかもしれない。聖人に一歩近づいていたのだろうか。
 そんななか、ある料理の姿が突然浮かんだ。ラーメンだ。私はラーメンがさほど好きというわけではない。年に数杯食べる程度だから、「ラーメンという料理」が頭に浮かんだのではなく、ある特定のラーメンが突然姿を見せたのだ。その唐突さに、自分でも驚いたくらいで、脈絡のなさは夢のようだった。夢に整合性や合理性がないように、病室で突然頭に浮かんだラーメンにも、なんの因縁もないのだ。唐突に、突然の出現なのだ。
 渋谷のラーメン屋のラーメンが、突然姿を見せた。おそらく、どのマスコミにも無視されてきたラーメンだろう。「名店の誉れ」などどこにもないが、個性的とは言える店ではある。渋谷は苦手な街だから、用がない限り行かない。たとえ行っても、用が終われば2軒の古本屋に寄って、どこか別の街に移動する。長居したくない街という点で、池袋にも似ている。年に数回しか行かない渋谷だから、そこでラーメンを食べることもあまりない。いままで3回か4回ほど食べて、そのあともう30年近く行っていない店なのだ。そんな店のラーメンが、入院中の私の頭に突然姿を見せたのだから、自分でも驚いた。
 井の頭線渋谷駅のそば、JR渋谷駅から今は渋谷エクセルホテル東急になっているビルの方向に道路を渡り、左手に井の頭線高架鉄道のある路地に入る。餃子の古い店として知られる萊萊羊肉館のそばにあるラーメン屋だ。おそらく、日本にあまりない個性的な店だと思う。珍しいことに、立ち食いのラーメン屋なのだ。まず、販売機で食券を買う。食券を見た店員は、麺を自動ゆで麺機の金属籠に放り込む。麺は決められた時間だけ湯のなかを泳ぎ、時間になれば籠は持ちあがり、傾き、麺が丼に入る。すると、店員がスープを注ぎ、薄いハムとワカメと葱を振って、出来上がりだ。スープは、大阪のうどんのように薄い色で、丼の底まで澄みきっていた。多分、粉末スープを湯で溶いたものだろう。
 安くて、手軽だから、たまに立ち寄ったのだが、まずければ二度と行かないのだから、何度か行ったということは、「難はない」と感じたのだろう。九州の白濁スープも好きだが、熱い夏は、吸い物のようなあっさりしたラーメンも悪くない。
あの店は数人の男がやっていたから、「かわいい娘が・・」という思い出もない。記憶に残るほど、「うまい!」と思ったこともない。この30年ほど、思い出しもしなかった店なのだ。だから、病床で突然の出現した理由がまったくわからないのだ。病室で頭に浮かんだ唯一の食べ物がこれだった。そして、「最後の晩餐」という語が浮かんでいた。
 退院して数カ月後、あのラーメン屋の現在を見たいという目的だけのために、わざわざ渋谷に行った。ずっと気になっていたのだ。おそらくはもうないだろうという予感があったが、やはり想像していたとおり、あの店はもうなかった。渋谷駅近くという場所にありながら、周辺はそれほど姿を変えていなかった。路地を抜けて、かつてのように、渋谷古書センターに立ち寄って、すぐ神保町に向かった。久しぶりに、食べてみたかったのだがなあ。