465話 日本の正しいコロッケ

 
 コロッケは、肉屋のコロッケに限る。レストランで食べるようなもんじゃない。
 ポルトガルの小さな街の昼下がり、空腹のまま散歩してきたものの、適当な飯屋が見つからない。ちょうど目の前にポルトガル名物の藍色の絵がついたタイルで飾られた古い駅があり、見物しようと構内に入ると、立ち飲み・立ち食いの店があったので、そこで昼飯を食べることにした。スペインなら、どこにでもバルがあるから、ひとり旅の食事にはとても便利なのだが、ポルトガルにはこんな便利な店はなぜか少ない。
 店に入って、壁に貼られたメニューを眺めていたら、”Croquetes”という文字が見えた。おお、コロッケじゃないか。スペインやポルトガルにもコロッケがあることは知っていたから驚きはしないが、活字だけで得た情報なので、この際、実物を口に入れたくなった。ポルトガルのコロッケがどんなものか知りたくて、注文してみた。
 私が子供のころは、鶏のから揚げもまだまだ一般的ではなく、田舎の子供が揚げ物を食べる機会はあまりなかった。そういう時代だったので、肉屋で買い食いするコロッケは大変なごちそうだった。うまくて安いごちそうだった。
 1960年代は、私にとっては小学生から高校卒業までの10年間なのだが、その10年間ずっと、学校のそばの肉屋でコロッケを買っていた。コロッケ1個を小さなわら半紙にのせて、ソースをどぼどぼかけてもらって、歩きながら食べることもあったが、食パン半斤にコロッケ2個を昼食にすることの方が多かった。60年代のコロッケは、私の身近では5円で始まり15円まで値上がりしていたという記憶がある。
 私が好きなコロッケは、肉かと思ったらジャガイモの皮だったというような質実剛健なもので、「カニクリームコロッケ ドミグラスソース添え」などは唾棄すべき軟弱物だと思う。カボチャ入りとか、カレー風味というのも嫌いだ。コロッケに関しては、保守本流主義者である。
 ポルトガルの立ち食い食堂の私の元に、コロッケが届いた。コーヒーカップの受け皿くらいの皿に、太い口紅という感じのコロッケがのっていた。外見上でも、日本人が見て、「ああ、コロッケだ」とわかる姿だ。ソースはついてない。もちろん、テーブルにもソースはない。ひと口、かじった。なんだ、これ? マッシュポテトに塩コショウしただけだ。ジャガイモは使わず、マッシュポテトの粉末を固めただけかと思ったが、多分、店ではそれさえもせずに、冷凍のコロッケを揚げただけだろうと思う。日本で売っているかもしれない「まずい、安い」という冷凍コロッケなら、こういうのもあるかもしれないと思えるほど、違和感のない食感と味だった。だから、まあ、おもしろくない。
 具が入っていた記憶がない。肉が入っていれば、”Croquetes de Carne”になり、水で戻した塩ダラの干物を入れたものは、”Croquetes de Bacalhau”になるのだが、店のメニューに何と書いてあったのか、まったく覚えていない。具の記憶もない。固形物の舌触り・歯触りの記憶がないのだ。私はポルトガルのコロッケに日本と同じ味を求めたのではなく、おもしろい何かがあればと期待して注文したのだが、「まずくはないが、うまくもない」というつまらない結果に終わってしまった。
 ついでに雑学だが、このバカリャウ(Bacalhau)はスペイン語ではバカラオ、イタリア語ではバッカラとなり、いずれも塩ダラの干物をさす語なのだが、興味深いことに生のタラ(何の加工もしないタラ)をさす語は、元来これらの地域にはなかったという。
 コロッケという料理は、フランス語の”Croquette”起源説が有力で、これまた興味深いことに、世界のいくつもの国で食べられている。スペイン語では”Croquetas”で、ポルトガル語同様、なぜか複数形になっている。世界のコロッケ事情を手軽に知りたければ、ウィキペディアの“Croquette”を読んでみるといい。http://en.wikipedia.org/wiki/Croquette
コロッケの雑学をご存知の方は、ご教授ください。