624話 パソコン導入直後 その1

 この雑語林の連載2回目は、2002年8月19日付けで、「パソコン導入」という文章を書いている。私が初めてパソコンを買った時の話だ。
 http://www.asiabunko.com/zatugorin1_10.htm
 もう10年以上前の話だが、この世界では新参者にすぎない。それでも、変化の激しさには驚く。この10年以上の間に見聞きしたパソコンの話を、思い出すままに書いてみようか。
 2002年にパソコンを買おうとしていたころ、モニターのほとんどはブラウン管式で、液晶モニターはまだ少なかった。パソコン売り場にディスクトップパソコンが10台あるとすれば、液晶モニターは2台と言う時代で、私は小スペースが気に入って液晶モニターを買った。私が買ったパソコンは、フロッピーディスクが使える唯一(で、多分ほぼ最後)の機種だった(結局、使いこなせなかったが)。
 旅行人編集部で、インターネット遊びをやったことを思い出した。それぞれが国名をひとつ上げて、検索数がもっとも少なかった国が勝ちという遊びだ。マリのように、類似語が多いと不利で、インターネット上の無名国というのは、ちょっと難しいもので、検索スピードも遅いから、1時間ほどは遊ぶことができた。
 旅行人編集部で、「パソコン、買うぞー!」という話をしていたときに、蔵前編集長が話したいくつかのことは、はまだ覚えている。
 「グーグルってのが登場したんで、検索が楽になりました」と言ったが、もちろん私は「グーグル」とは何なのか、まったく知らなかった。そういえば、今思い出したのだが、そんな私でも、「マック」とか「アップル」と言うのは、1980年には知っていた。そのころアメリカにいて、知り合いとそのまた知り合いたちと食事をしたときに、ひとりが「コンピューターのアップルに勤めている」と言ったのを覚えているが、詳しい話をされても理解できないから、何も質問しなかった。
 蔵前編集長は、画像の処理といった話もしたが、私にはまったく関係のない話なので、いいかげんに聞き流していた。画像といえば、友人の話を思い出した。海外駐在になった男が、さみしさからかサービス心からなのか、日本に膨大な写真を送ってくるのだと日本にいる友人が嘆いていた。メールに添付された画像を見るには、えらく時間がかかった。
 「縮小せずに、そのまま何枚も送ってくるから、<添付ファイルを開く>という作業に入ったら、もう何もできない。しょうがないから、風呂に入って、出てくると、まだ写真が送られていてさ、参ったよ」
 ISDNの時代に大量の画像を送ることの厳しさを、私は知らない。私は今も写真を送るなどということはほとんどしないし、添付された写真を見ることもほとんどないが、インターネットの画像は驚くほど速くなったことは実感する。そういえば、あのころはインターネット接続料金が「1日3時間まで」とか「1日8時間まで」とか細分化されて、「24時間使い放題」というのはえらく高かった。だから、貧乏人はネットでほしい情報を見つけたらすぐさま印刷し、オフラインにしたという話を聞いたことがある。
 私はサラリーマンの経験がないのでわからないのだが、会社の業務によって大きな違いはあるものの、私の世代(1950年代前半生まれ)は、サラリーマンなら「職務上、パソコンを扱えないと仕事にならない最初の世代」だったらしい。私よりも上の世代は、「悪い、昼飯をおごるから、あの書類、作っておいてくれないかなあ」などと部下に頼んで逃げ切り、そのまま定年退職していったようなのだが、私の世代では、会社のパソコン講習会に通ったり、個人的に教室に通ったり、本なので独習したりと、かなり苦労したらしい。
 私と同世代の人に話を聞いた。30代に、会社のパソコン講習会で苦労して学んだという人たちだ。
「新入社員なんか、パソコンができるのが当たり前だから、くやしい思いをしたんじゃないですか?」
 「いえいえ、違いますよ。僕がパソコン講習会に通っていたころの新入社員なんか、パソコンに触ったこともないというのが普通ですよ。大学生が自分用のパソコンを買える時代じゃないですから。文系の学生には、パソコンはまだ縁のないものでした」
 そうか、パソコンは高かったんだ。そのころ、天下のクラマエ師は、女房のホンダ・シビックを売り飛ばしてパソコンを買ったことを思い出した。この行為は、出版界では、「雑誌のためなら、女房も泣かす」と、歌にもなった有名なエピソードである。
 歴史を振り返ってみれば、私のパソコン歴とウィキペディア日本版の歴史は重なるのだが、それはあとになって知ったことで、あのころ、2002年とか2003年の時点で、ウィキペディアはまだ誰でも知っているような存在ではなかったと思う。パソコンのことは、天下のクラマエ師とアジア文庫の大野さんのふたりが先達であり師匠なのだが、ウィキペディアの存在を教えてくれたのは、なんとナインティーナイン、そう吉本の芸人である。ふたりは、ラジオでパソコンを話題にしていて、「すごいのを見つけたぞ。芸能人の経歴や出演作品のリストが載っている」と得意げにしゃべっていた。「ここに詳しい解説が載るかどうかが有名芸能人かどうかの分かれ目だな」と話していた。映画俳優の出演作品がリストになっている出版物はすでにあったが、テレビタレントや芸人が出演したバラエティー番組のリストが載っているというのは、画期的だったらしい。
 ラジオを聞いていた私は、ときどき耳にする「ウィキペディア」と聞こえる単語をメモして、検索してみた。今思い返すと、初期のウィキペディアはリストだったと思う。ジャンル別の項目が並んでいて、例えば「芸能人」をクリックすると、人名リストがでて、リスト上の芸能人名をクリックすると、その人の項目が出てくるといったシステムだったと思う。記憶が定かではないが、リストから読みたい項目を選ぶだけで、まだ項目検索はできなかったと思う。
 話が長くなりそうなので、以降は次回に。