674話 きょうも散歩の日 2014 第32回

 わかるけれど、わからない話


 スペイン語を学んだのはコック見習いをしていたころで、大昔と言ってもいいほど昔、1970年代なかばのことだ。週に1回60分の授業を10回程度受けただけだから、入門編さえ終えていない。それ以上進まなかったのは、より深く勉強する動機がなかったからであり、次期分の授業料を次の旅のために貯めておこうと考えたからだ。
 40年近く前にほんの少し学んだだけなのに、スペイン語の単語は今でも割と覚えている。日本語と同じように、子音・母音、子音・母音という組み合わせで、いくつかの例外を覚えればほぼローマ字読みでいい。ローマ字読みができれば、覚えやすい。聞いても、すぐわかる。その点、タイ語は綴りも発音もやっかいだから、単語はなかなか覚えられないし、聞いてもわからない。似たような音で、意味が違う単語は、タイ語には山ほどある。同じ声調言語の中国語も同じだが、漢字で書き分けて覚えることができるが、タイ語を耳だけで覚えるのは難しい。スペイン語の文法はタイ語に比べればやっかいだが、文字も発音も簡単だ。英語のように、綴りと発音が一致しないということもない。
 「スペイン語の単語は今でも割と覚えている」と書いたが、逆にいえば、大半は忘れたともいえる。それらの忘れた単語を、旅をしているうちに、じわじわと思い出してきた。
 日本円をユーロに両替しようとして銀行に行った。それが難行苦行になるとは思わなかった。散歩をしていて、銀行を見つけ、両替しようと思ったのだが、銀行の営業時間内であるにもかかわらず、ドアにカギがかかっていて入れないのだ。いくつもの銀行で同じ体験をした。何が何だかわからなくて、ある銀行でドアをガチャガチャと引いたり押したりしたら、ドア近くにいた行員が対応してくれた。「日本円から両替をしたい」と言うと、「両替は当行に口座がある方だけですが…、口座はお持ちですか?」と聞かれた。もちろん、持っていない。あとからわかったのだが、口座を持っている人は、その銀行のカードをドアにかざすとドアが開くらしい。口座を持っていない人は、銀行に入ることさえできないのだ。それじゃ、最初に口座を開くときはどうするのだろう?
 ある銀行の前を通るときに、たまたま中から出てきた人がいたので、私は開いたドアに身を差し込んで銀行に入った。外貨両替事情について聞いた。英語で質問したのだが、どの銀行員もスペイン語で返事をする。銀行員という高学歴者なら、多少なりとも英語が話せるのは当たり前だと思う。外交交渉といった難しい話をするわけではなく、簡単に答えられる質問なのだ。散歩のときに、英語で道を聞いてもほとんどの人が英語で答えてくれたのに、バルセロナの一流銀行で、行員の誰一人として英語をしゃべらないというのは変だ。奇妙なナショナリズムか。
 私が英語で質問をした。何人かの銀行員が話すスペイン語の答えは、なんとかわかった。彼らは、私の英語の質問が理解できているのだ。私はスペイン語で質問できないから、英語でさらに質問する。すると、彼らはまたもやスペイン語で答える。私はまた、英語で質問する。彼らの言っていることはわかるが、その内容を理解できないという不思議な会話だった。次のような内容の会話だった。その時の一問一答を、多分こういう内容だろうと推測して日本語に再構成すると、次のようになる。
 「日本円からユーロへの両替はできますか?」
 「ウチはしません?」
 「それなら、どの銀行で両替できますか?」
 「そんなことは知りませんよ」
 「知らない? ホントに? みなさん、銀行員でしょ」
 「とにかく、このあたりの銀行では両替できません」
 「では、どこの銀行なら両替できるんですか?」
 「セントロ(中心部)の銀行なら」
 「セントロとは具体的には?」
 「カタルーニャ広場近くの銀行なら、両替できる」
 こういう会話で、銀行員が言っていることはわかるが、内容が理解できない。東京で言えば、銀座にある銀行ならどの銀行でも両替できるが、新橋や京橋の銀行では両替できない。池袋や新宿のどの銀行でも両替できないという意味だ。私の耳はそういう意味の話だと理解したのだが、それが正しいという自信などまったくない。銀行員たちの話は本当かねと疑問に思い、そのあとカタルーニャ広場にある観光案内所で確認したら、「はい、その通りです。セントロにある銀行なら、どの銀行ででも両替できます」という回答だった。スペイン語を聞き取る私の能力に問題はなかったことになる。
 というわけで、相手の話していることはわかるが、その内容は理解できないという意味が分かりましたか。結局、両替はあきらめてクレジットカードのキャッシングにした。