バルセロナの外国語
バルセロナは巨大な観光地だから、世界各国から旅行者がやってくる。そして、この街で働くためにも、多くの外国人がやって来る。
モンセラットの観光パンフレットにロシア語の説明文があって、ロシア人観光客が多くいることはわかっているが、街でよく聞こえてくるロシア語らしき言葉が、本当にロシア語であるかどうか、私には判断がつかない。その、ロシア語らしき言葉を話している人たちはグループで行動し、大声で話しているから目立つ。ある日のこと、私の前をロシア語らしき言葉で大騒ぎしている5人ほどのグループがあり、レストランの客引きがやはりロシア語らしき言葉で話しかけたので、店の前で盛り上がっていたという光景を見たことがある。おそらくデンマーク語もギリシャ語も聞こえているのだろうが、私の言語アンテナではキャッチできない。そういえば、ランブラス通りの客引きや宿の受付は、外国人客を相手にするから、外国人が受け持つことが多いように見える。
アジアの安宿でなら、旅行者が話しているのがドイツ語かオランダ語かはすぐにわかるが、ヨーロッパではドイツ語のような響きの言語はいくらでもありそうで、瞬時に判別する能力などない。
アラビア語は、当然よく耳にする(ペルシャ語との違いが聞き分けられるわけじゃないが)。モロッコをはじめ北アフリカ出身者が多く住んでいるからだ。いわゆるブラックアフリカ出身者は、意外に少ない。スペインの都市は、アフリカに植民地を持っていたフランスの都市とは違う。もちろん、サハラ以南のアフリカ人は少しはいるが、「多分、西アフリカの言葉だろうな」というくらいしかわからない。
アジア人では、日本語、韓国語、中国語はよく耳にする。中国語を話している人が、台湾から来たのか、中国から来たのかは、私には判断がつかない。韓国人が多いのは、人気テレビ番組「花よりおじいさん」という旅行バラエティーが、バルセロナ中心の内容だったことと多少なりとも関係があるのだろうか。それ以外には、やはりバルセロナ・オリンピックのマラソン金メダル(フォン・ヨンジョ)獲得の影響で、バルセロナやモンジュイックという地名になじみがあるからだろうか。
日本人観光客が多い世界の観光地に行くと、「アリガト」「コンニチワ」「ドコイク?」「ノー・タカイ」などという言葉が土産物屋から聞こえてくることがある。最近では韓国人観光客が増えてきたから、多少なりとも日本語がわかる韓国人が、こういう日本語を投げかけられると、韓国人としてのナショナリズムが沸き起こってきて、うんざりしていることだろう。そして、いずれ日本人客に向かって、「オソオセヨ」(いらっしゃい)とか「アンニョンハセヨ」(こんにちは)とか「コマウォ」(ありがとう)といった韓国語が飛んでくるのは時間の問題だと思っていたら、ランブラス通りで私に向かって発せられたのは「ニーハオ!」だった。これは初体験だった。中国人の方が、圧倒的に旅行者数が多いのだから当然か。
ランブラス通りを北から歩いて来た若いカップルがいた。明らかにアジア人で、さて韓国人かそれとも台湾人かなと思っていたのだが、すれ違うときに聞こえてきたのはベトナム語だった。観光旅行ではないとはいえないが、留学生だろうか。
タガログなど、フィリピンの言葉もよく耳にしたが、旅行者ではない。ホテルの掃除やベビーシッターや老人の介護などの仕事をしている人たちだ。以前に、マドリッドやその北で会ったフィリピン人は、尼僧の姿をしていた。フィリピンは元スペインの植民地で、国民の多くがカトリックということで、スペインとフィリピンの関係は深い。ある日の夕方、バルセロナのリセウ劇場の裏手の方を歩いていたら、教会から音楽が聞こえてきて、お祭りのようなのだが、その音楽がスペインの音楽とは思えない。不思議に思ってその教会に近づくと、教会の前の広場に集まっていたのは、数十人のフィリピン人だった。彼女らが話していたのは、タガログとは違うフィリピンの言語のようだ。それがセブアノ語なのかイロカノ語かといった判別は、私にはできない。
スペイン語で話してはいるが、外国人だとわかったのは、中南米から来たに違いないインディヘナ(かつての言い方では、インディオ)で、主に肉体労働を担っているようだ。
事情があって、丈夫で大きい安全ピンが欲しくて、ランブラス通りの雑貨店兼土産物屋に入ったとたん、耳元で「ハロー・ミステール。ファット・アーユー・ルッキング・フォル?」というインド訛りの英語が聞こえ、無視したら、私の背後にびっしりくっついて来て、同じセリフを耳元で4度大声で繰り返した。忍耐の帯が切れた。「うるさい。オレに話しかけるんじゃない!」と怒鳴って、すぐさま店を出た。この異常なしつこさが、私をますますインド嫌いにさせる。その男がインド人かどうかはわからないが、嫌なヤツはみんなインド人にしてやる。
サグラダ・ファミリアへの入場者の列で、私の前に並んでいたのは高校生くらいの若い女が5人。彼女たちは、品のないアメリカ英語を大声でしゃべっていた。アメリカンスクールかインターナショナルスクールの生徒だろうか。今調べたら、バルセロナにアメリカンスクールがあることがわかった。ジョージ・W.ブッシュ(息子の43代大統領の方)のような英語だ。昔から、アメリカ兵がしゃべるような英語が苦手だった。さっぱり聞き取れないからだ。「俺たち、アメリカ人だ。わかったか、この野郎」と言っているような響きに聞こえるのだ。昔からこの手の英語が嫌いだったのは、「俺がしゃべっている英語は、世界の誰でも理解できて当たり前だ。もしわからないなら、お前がバカなんだ」という態度だからだ。聞き手のことなどまったく考慮しない態度が、傲慢なアメリカ人そのものに見えた。アメリカ人すべてが気にいらないというわけではない。世界には、英語を話さない人がいくらでもいることがわかっている人は、ゆっくりとはっきりしゃべるとか、易しい言い回しや、易しい単語を選んだりする配慮ができる。つまり、異文化への配慮ができる人だ。そういうアメリカ人とは仲良くなれた。