689話 きょうも散歩の日 2014 第47回

 雑話いろいろ その10


■アンダルシアの街マラガのたそがれ時に、居心地のいい喫茶店にたどり着いた。チェーン店らしく、大きな店舗だがほぼ満席だった。メニューを見ると、コーヒーに「アメリカーノ」があって、実際に目の前に現れると、ミディアム(2.50€)でさえスープ碗のように大きく、厚い陶器だから重く、片手で持ち上げるのはちょっとつらい。コーヒーをがぶ飲みする私でも、最後はちょっともてあましたくらいの量だ。バルセロナでも探してみようと思ったが、二度と会うことはなかった。その店はCosta Coffeeという。帰国後調べてみたら、スペイン資本の店ではなくイギリスのコーヒー店チェーンで、日本にはないが、なぜかプノンペンにはあるそうだ。もし日本に進出するとしたら、このアメリカンコーヒーはいくらになるだろうか。少なくとも店の好感度に関しては、やたらにイタリア語を使いたがるコーヒー店チェーンよりも、私にはよっぽどマシだ。
■「河野さんは、スペイン語圏では要注意」という話は昔から聞いていた。開高健が責任編集長を務めた1970年代の雑誌「面白半分」にも出ていたような気がするが、私はそれ以前から知っていたと思う。河野が「Kawano」なら問題がないのだが、「Kono」とローマ字表記すると、スペイン語圏では失笑されるというのである。スペイン語でcoño(コーニョ)は女性器を意味する語だからだ。ウソかマコトか、その昔、在マドリード河野日本大使の名が「こうの」だったので、在任期間は「かわの」と読み方を変えたという話も読んだことがある。多分、作り話だろう。
 人前では決して口にしてはいけないこの語が、今は公然と表に出てきたという話が、『「アミーゴ」と付き合う法』(野々山真輝帆、晶文社)にでてくるが、この本の発売は1998年だから最新情報というわけではない。英語のfuckという語が、”fuckin’ crazy”(とんでもねえぜ、大馬鹿野郎)のように本来の意味を離れて、強調する意味にも使われるように、coñoも本来の意味を離れて、さまざまな場面で使われるようになったという。強調するための言葉だけでなく、「・・とかよう」、「そんでもってな・・・って言うんだぜ」、「だけどよう・・・」のように、接続詞として使われることもあり、文法的な説明はほとんど不可能だという。今でも行儀のいい言葉ではけっしてないが、女性が人前で使うこともあるという。
■生まれて初めてスマホに手を触れたのはスペインのロンダで、「すいません、撮影してください」と観光客から手渡された。カメラ以外で写真撮影などしたことがないので、「どうしたらいいんですか?」と聞いて、「ここを押す」と説明されてなんとか理解したが、押す時間が長くて、おかしな画像になったかもしれない。心配になり、「確認してくださいね」と言ったが、「ああ、大丈夫」といって観光客は去って行った。多分、ぶれているのだろう。「シャッターを押す」のではなく、「マークに触れる」という感覚がわからない。
 その10分後に、今度はタブレットを渡されて夫婦の記念写真の撮影を頼まれた。タブレットに触れるのも、これが生まれて初めて。画面が大きいし、すでにスマホで1度経験しているので、今度はうまく撮影できたと思う。絞りがどうの、シャッタースピードがどうのということもなく、▽印を押すだけだから、簡単(だと思うが出来上がりをよく見ていない)。
 二度目にスマホを手渡されたのはバルセロナサグラダ・ファミリアの内部、礼拝堂のキリスト像の前。私に、「すいません。私を撮ってください」と依頼したのは、若い女性で髪をスカーフで覆っているイスラム教徒。「背後のキリスト像といっしょに」とジェスチャーで示し、すまして立つ。撮影は簡単だが、なんだか変な気分だ。仏教徒など異教徒もここに来ているのだから、まあ、どうということもないのだろうが。
■あれはアンダルシアのロンダだったか。バスターミナルで向こうからやってきたのは、ひとり旅らしい女。外見では、日本人か韓国人か台湾人かはわからないが、本当にひとり旅なら、日本人である可能性が高い。アジア人でひとり旅ができるのは、男女ともまだ日本人が圧倒的に多いからだ。ひとりで食事する習慣のない人たちに、ひとり旅はできない。その女性とすれちがうとき、リュックに黒いものがぶら下がっているのが見えた。くまモン熊本県出身者か。あるいは、熊本県人からのプレゼントだろうか。そのくまモンは、旅行中彼女を守ったのだろうか、幸運をもたらしたのだろうか。スペインのうまい物を食いまくって、旅を終えたらくまモン体型になっただろうか。
■テレビで、映画「アンダルシア 女神の報復」を放送していたので、改めて見た。すでに見ているが、内容をほとんど覚えていないから、どんな景色が見えたのか気になったのだ。ふたたび見ると、やはり、アンドラやスペインの観光映画にさえなっていない駄作だと再確認した。007シリーズや、「ボーン・アイデンティー」シリーズは、それなりに観光映画としても優れているのだが、そういう映画と比べるレベルではない。アクション映画としても魅力もない。「日本の映画にしては、カネだけはかけましたよ」という自慢だけの、フジテレビ映画でしかない。