688話 きょうも散歩の日 2014 第46回

 雑話いろいろ その9

■『バルセロナ紀行』(石川義久、批評社、1992)を読んだ。今日のバルセロナの都市計画はセルダ(イルデフォンス・セルダ・イ・スニエ 1815~1876)の案によるものだという話はすでに知っていたが、バルセロナのように格子状に作られて街は、スペインの植民地にはあっても、ヨーロッパにはほかにないという記述に、「そうだったのか!」と驚いた。
 セルダが考えたバルセロナの新都市計画は、道路が交差する格子状のものだったので、「バルセロナを、植民地のような街にしたいのか」という反対意見がでたそうだ。考えてみれば、ロンドンもパリもマドリードも、格子状の街ではない。この本は帰国後に読んだので、旅に出る前に読んでおけばよかったと後悔したのだが、もしバルセロナを知らずに読んだら、通りの名前など内容のほとんどは実感なく、よく理解できなかっただろう。旅の資料は、帰国してから読んだ方がよく理解できる。
 『バルセロナ紀行』と同じように建築を専門とする著者が書いた『バルセロナ』(岡部明子、中公新書)も興味深い内容が詰まっていて、それゆえに、バルセロナをほとんど知らないうちに読んでも、記述が頭に届かない。旅の予習というのは、なかなかに難しいものだ。
■『スペイン430日 オリーブの樹の蔭に』(堀田善衛ちくま文庫、1989)は、1977年から78年のスペイン滞在記だ。独裁者フランコが死んだのが75年だから、77年からの日記は、民主化が始まって間もない時代の状況がよく分かる本だ。著者はスペイン語、英語、フランス語ができる上に、社会問題にも関心が高いので、新聞やラジオの情報も集めている。
 1977年12月13日の日記。次のような新聞記事を紹介している。「あらゆるスペイン市民は自由に国家地域から出入りすることを得、かつ旅券を取得する権利を持つものとす」。つまり、この1997年にスペインはやっと海外渡航が自由化されたのだ。日本では1964年だった。
 1978年2月22日の日記に新聞記事のメモ。スペイン内乱時代(1936~39年)に共和国側地区の高校で得た資格を認定するというもの。反乱軍側と敵対した地域で得た学歴や資格などを、フランコが死んでやっと認めたということだ。40年間無視していたわけだ。
 政治問題とはまったく関係ないが、スペイン南部のアンダルシアにあるグラナダアルハンブラ宮殿で知られるこの街で暮らしていた78年1月12日の日記で、注目すべき記述が2点ある。ひとつは、「寒い」ということ。「雪がチラチラ降ってきた」とある。暑い場所というイメージがあるアンダルシアにも雪が降るほど寒い冬があることがわかった。その寒さをしのぐために、炭火をテーブルの下に置き、毛布をテーブルにかけてコタツにしている。同じような椅子式コタツはトルコにあることは知っていたが、スペインにもあるそうだ。炭を使わない場合は、電熱を使う。アンダルシアでも冬はえらく寒いらしいと思って日記を読み進むと、気温が20度を超える日もあり、日々の気温差が激しいことがわかる。『日本人の知らない日本語 3』(蛇蔵&海野凪子、メディアファクトリー、2012)には、スペインのコタツがイラストで紹介されている。テーブルクロスが厚手で長いと思えばいいようだ。
■このアジア雑語林の18、19回で、「なんとも運の悪い人」と題して、バルセロナで行った博物館が閉鎖中で見物できなかったという話を書いた。それを再読するか、思い出してから、次の文章をお読みください。出典は、再び堀田善衛の1977年9月11日の日記。場所はマドリード
 「娘と二人で民族博物館に行くと、これが修理中でしまっている。去年の秋に来た時も修理中であった。この国の工事ごとは実に手間も暇もかかる。プラド美術館も空気調節の工事中であるが、これはもう私の記憶では三年目に入っている筈である」
■スペイン映画「スリーピング・ボイス〜沈黙の叫び」(2011)を見た。市民戦争が終わり、フランコ政権が共和国側の粛清、大虐殺を始めた時代の物語だ。
http://www.wowow.co.jp/pg_info/detail/105564/
 この映画を見ていて、「ああそうだった」と思い出したのが、軍人がかぶっているおかしなヘルメットのことだ。独裁者フランコが死ぬ直前の1975年に行ったスペインで、その奇妙な帽子をかぶった軍人が、機関銃を持って道路の各街角に立ち、列車にも乗り込んでいるのを私は見た。そこで、あの軍人と変な帽子について調べてみたくなった。制服姿の男たちは軍人ではなく、治安警察(グアルディア・シビル)で、準軍事集団であるらしい。ウィキペディア日本語版では、この帽子について、儀式でのみ使用すると書いてあるが、私は街角や列車内でも見ているので、とてもそうとは思えない。この帽子について、私のように興味を持ち、どのような帽子で、どのような歴史があるのかということについて調べた好事家がいるので、以下の記事を参照されたい。また、驚いたのは、こういう治安組織はフランコ政権崩壊とともに消えたのだろうと思ったが、現在もまだあるらしい。
http://www.eyeonspain.com/blogs/iwonderwhy/11562/Why-do-they-wear-that-hat---Spains-first-police-force.aspx
 1971年に初めてスペインを旅行した船曳建夫(東大名誉教授)は「空港を巡回している警官も、儀式のような帽子と折り目の付いた制服で身を固めている」(『旅する知』海竜社、2014)と書いているように、やはりあの帽子はおかしなものに見えたようだ。
■スペイン現代史を調べていて思い浮かんだのが、台湾現代史だった。スペイン市民戦争が終わった1939年以降、独裁政権は軍部に逆らった共和国側の人間だけでなく、共和国側とは無関係な人間をも大虐殺していった。台湾では1947年2月28日に起きた事件をきっかけに、国民党政権は台湾人の大虐殺を始めた。スペインの軍事政権はカタルーニャ語の公的使用を禁止し、台湾の国民党政権は台湾語の公的使用を禁止した。というように、両国の現代史を重ね合わせると、両国の長期反共独裁政権がやったことがいろいろ見えてくる。旅をすることでもないと詳しく調べる気にならないことを、旅をしたせいで飽きずに調べる好奇心が生まれ、スペインと台湾がつながる。こうして、旅のおもしろ味が増す。