932話 イベリア紀行 2016・秋 第57回

 スペイン人の英語力


 バスで席を隣り合わせた韓国人夫婦との雑談で、2点だけ「あれ?」と思うことがあった。ひとつは、「セゴビアでは、韓国人旅行者にひとりも会わなかった」と夫婦が言ったときで、私はここで旅行者たちが話す韓国語を耳にしたことは何度もあるので、「たまたま出会わなかったんですかねえ」と答えた。まあ、そういうことはあるだろう。
 もうひとつの「あれ?」は、「スペイン人はあまり英語をしゃべらないので困る」というもので、これは明らかに違うが、反論すると面倒なので黙っていた。
この韓国人夫婦と私の認識の違いはどこにあるのか、すぐにわかった。この韓国人がバルの店主の爺さんに道を聞いているところを、私がたまたま通りかかったことがあった。それではダメなのだ。英語で質問するなら、英語を話しそうな人に質問しないといけない。人を選ばないといけないのだ。
 私は「人を外見で判断している」。スペインの場合なら、スペイン語で聞く相手と英語で聞く相手を瞬時に区別する。英語はわからないだろうと思われる相手には、片言のスペイン語とともに地図やノートを出す。単純な質問ではなく、かなり深い話になりそうだと思われるテーマは、そういう話題にふさわしそうな外見の人に話しかける。大きなデモがあったときは、マスコミ関係者か社会運動家のような雰囲気の人に話しかけて、丁寧な解説をしてもらった。
 たぶん、これは旅の技術というものだろう。話しかける相手によって、質問のレベルを変え、会話のレベルを変える。単語を並べれば何とかなりそうだと判断すれば、英語や現地の言葉の単語を口にする。こういう技術は、団体旅行を何度してもなかなか鍛えられない。ふらふらと気ままに旅をしていて、しかも誰かとおしゃべりをしたい思う旅行者じゃないと、会話の技術は向上しない。
 そういう旅行者の体験で言うと、スペインは驚くほど英語が通じる国になっている。観光や移住や、さまざまな人どうしの交流のせいか、かなり通じる。私は知りたがりだから、博物館でもよく質問をするのだが、職員全員が英語の会話ができるわけではなくても、できる人は誰かいる。「ちょっとお待ちください」といわれ、奥から英語ができる人が出てくることなどざらにある。だから、用は足りる。
 それにひきかえ日本ではと考えると、暗澹たる事実に気がつくわけだが、だからと言って、小学校から英語教育を義務化することで解決するなどとは思っていない。むしろ、小学校で英語など教えなくてもいいと思っている。では、どうすればいいかという話は、いずれ別の機会に書くことにしよう。

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 カテドラルよりも、住宅の方がおもしろい。壁のタイルがちょっといい。どうせなら、アップで撮ればよかったと反省している。