ドミトリー その2
プラハで最初に泊まったドミトリーは8人部屋だった。部屋の中央にテーブルとイスがあり、そこで毎日雑談会が開かれた。政治や経済の話から、普段の生活の話や、失敗談など話題は豊富で、毎日が楽しかった。登場人物が少しずつ変わり、談論風発、百花繚乱、議論と爆笑の数時間が毎日続いた。
こういう体験を、日本の若者も積極的にしたほうがいいと思った。教授が案内する異文化体験ツアーや国際キャンプなどは、旅行会社を儲けさせるだけだ。日本人の団体旅行で異文化を体験するというのは、日本人社会というカプセルに包まれて移動しているのだから、異文化体験は形容矛盾である。キャンプをして寝食を共にするといっても、同じ世代の同じような階層の若者と話をするだけのことだ。団体旅行そのものを否定する気はないが、異文化の風に吹かれたいなら、ひとりで異文化の渦に入って行った方がいい。
毎夜の雑談会に参加するアジア人は私だけで、中国人も韓国人も参加しなかった。ロシア人も参加しない。雑談会に参加するには、高い壁がふたつある。
ひとつ目の壁は英語の力だ。しかし、私も参加しているのだから、これはそれほど高い壁ではない。謙遜しているのではなく、私は本当に英語もロクにできないのだ。高校時代、英語ができない生徒たちのクラスに送られ、そのなかで特に出来の悪い生徒が私だった。そして、それ以後も、英語を特に勉強したことがない。それでも、旅行中はなんとかしている。その程度の英語力だ。
安宿で、難解な文学作品を読んでいるわけではないし、英語のテレビ番組を見ているわけでもない。高度の専門用語が次々に出てくるわけでもない。私が楽しんだプラハの大雑談会では、英語を母語としている者はひとりもいない。もし、ここにアメリカ人とオーストラリア人とカナダ人がいて、彼らが口語や流行語やスラング交じりで,口角沫を飛ばしてしゃべりまくると、少なくとも私には手に負えなくなる。そうなれば、何もわからず沈黙するしかないのだが、幸せにも、そういう事態にはならなかった。
もうひとつの壁は、英語力よりもかなり高い。好奇心の壁だ。雑談会が英語ではなく日本語ならば、どんな話題が出ても、日本人なら誰でも楽しく会話ができるというわけではない。雑談を楽しむ好奇心が、語学力よりも重要なのだ。だから、たとえ高校卒業までロサンゼルスで育だち、アメリカ生活では英語で苦労することはないという日本人でも、カザフスタンやキルギスタンの政治や経済がどうなっているのかという話題に、はたしてついていけるかどうか。自分にその地域の知識がまったくなくても、「ふんふん、それで・・・」と次の質問をしたくなる好奇心があるかどうかが問題なのだ。
宿の台所で始まったある日の雑談会のメンバーに、スペイン人の医大生がいた。「子供のころ、プラハで暮らしていたことがあって・・・」という発言で話が広がり、「スペインの医師免許はEUでは使えるのか」という話題になり、「言葉の問題があるよなあ」というと、「中南米ならスペイン語だから・・・」というと、「中南米ではスペインの医師免許はそのまま使うことはできないような話は聞いたなあ」などと話題が移る。そして、各種免許とEUという話題になり、この医大生の実家がモロッコのスペイン領セウタにあることがわかり、モロッコの話がしばらく続き、物価の話から日本の物価が話題になり、「日本は高い!」と言うから、「それは昔の話。日本の物価は、今は安いぞ。だから、中国人がいくらでも来る時代になったんだ」と私が解説する。こうして時間が過ぎていく。
私は知りたがりだから、ドイツの外国語教育事情だの、サラリーマンの昼食事情だの、聞きたいテーマなどいくらでもある。国際情勢や環境問題に関する知識はあったほうがいいに決まっているが、知識がなくても、会話が成り立つには「知りたい」という意思表示が必要だ。大雑談会は、大学の授業のように、ただ黙って座っていれば時間が過ぎて「おしまい」にはならない。黙っていては会話にならないのだ。出席点などない学校が、ドミトリーの雑談会だ。教授が案内する団体旅行などよりも、はるかに勉強になるのだが、私のこういうブログを、大学生はそもそも読まないよなあ。