1849話 時代の記憶(最終回) 余話 消えた職業海外版

 

 「今はもうなくなったモノや職業」というテーマは、じつは日本国内ではなく、「この国の・・・」と外国での事情を考えたのが最初だった。具体的には、タイだ。日々、新しい技術やモノが登場しているが、「無くなったモノ」はなんだろうかとふと考えた。法律や制度によって禁止され、姿を消したものはいくつもある。バンコク路面電車や三輪自転車のタクシー「サムロー」などだ。運河を走る小舟は1980年代にはほとんど消えたが、陸上の交通渋滞解消のために、水上バスが運行されるようになり、舟がだんだん大きくなった。かつて日本人が「支那旅館」だの「中国旅館」などと呼んだ旅社は、タイの地方都市にはまだ残っているが、バンコクの中心地区からはかなり減った。

 そんなことを考えて、「消えたかな?」と思ういくつかを、タイの日本語情報誌「ダコ」の編集者たちと雑談をしたら、「バンコクでは見かけないけど、近くの市ではまだありますよ」というものばかりで、完全に消えたと言えそうなものは思いつかなかった。もしかすると、飲料水ポラリスのガラス瓶がペットボトルに変わったかもしれないが、だからといって「ガラス瓶のポラリスはなくなった」という証拠にはならない。「無くなった物事」を探すのは難しいのだ。

 「インドじゃ、どうなの?」と天下のクラマエ師に聞いたことがある。「素焼きのティーカップはまだあると言ってたよね」と、2022年の末に昔話をすると、「そう、あれはね、ヒンディー・ナショナリズムの影響というか、愛国主義的な影響で、『昔の文化を保存する』というような考えで、また復興しているんだよ」と師は言った。インドも、コンピューターはもちろん、昔はなかったものが登場したといった例はいくらでもあるが、「消えた物事」というと、なかなか思いつかないものだ。

 クラマエ師と「今はなくなったモノ」の話をしながら、かつてマドリッドにいたカギの管理人のことを思い出した。ある一定区域の家のカギを持っている男がいて、夜遅くなって帰宅した者がいると、玄関ドアを開けてやる職業だ。街の中心地の家だから、一軒家ではなくアパートだ。

 ある建物の、例えば3階の全部あるいは半分をホテルにしているという形態の宿泊施設によく泊まっていた。すると、宿泊客である私は、建物の入り口の大きなドアを開け、3階に上がってホテルの玄関ドアをあけ、自分の部屋のドアをあけるから、3個のカギを持っていたこともある。宿によっては、自分の部屋のカギだけ渡されることもあるから、あとのドアは誰かに開けてもらうことになる。スペインの場合、建物に入るドアのカギを持っているのが地区の警備員であるその男で、以前スペインの本を読んでいた時にその職業名を知ったのだが、忘れた。

 1975年の夏のことだ。マドリッドでスペイン人とフランス人とモロッコ人の大学生たちと知り合た。スペイン人、モロッコ人、日本人は英語をしゃべるが、フランス人はフランス語だけなので、モロッコ人が随時通訳をしながら昼も夜も雑談していた。その時期は、独裁者フランコが危篤状態ではあったがまだ権力を握っているという政治状況で、そういう政治向きの話もした。ある夜、カフェで雑談をして遅くなり、と言っても10時ころだとは思うが、宿に戻ると、建物の入口ドアが閉まっていて、何度ノックしてもドアは開かず困っていたら、向かいの家の窓があき、「手を叩け」というジェスチャーをする。何が何だかわからないが、とにかく言われたとおりに手をたたくと、ジャラジャラという音とともに、コートを着た男が現れ、カギの束を取り出し、入り口ドアを開けてくれた。チップを払ったかどうかの記憶はない。私は上の階にあがり、ホテルのドアをノックしたら、ドアが開いた。

 今回調べてみると、その職業はセレノ serenoだとわかり、ありがたいことに解説もついる。1986年に消えた職業だそうだ。

 あっ、今思い出したこと。1970年代末のルーマニア。路上でパンストの「電線」直しをしているおばちゃんが何人もいたな。たぶん、日本でも昔あった職業だろう。

 

 時代の記憶の話は、今回で終わる。