323話 1970年、大阪万博前後の世界音楽 1/4

 たまたまNHK教育テレビ「歴史は眠らない」シリーズの、「英語・愛憎の二百年」を見た。担当講師は立教大学教授の鳥飼久美子さん。おこがましいが、鳥飼さんの英語教育論は私と同じで、小学生におまけのような英語の授業をやるよりも他にやるべきことがいくらでもあるだろうという考えで、しかも、英語がアメリカ人やイギリス人としゃべるための言語だとは考えていないという点でも、私と考え方が同じだ。だから、日本人に幼いときから英語を教え、できるだけアメリカ人と同じ発音ができるように教育することが望ましいなどとは、まったく思っていない。
全4回の、このテレビ授業は途中から見たから、全体を知りたいと思い、テキストをネット書店に注文した。
 数日後に届いたテキストをパラパラとめくって内容を確認しているときに、不思議な感覚に襲われた。そのとき部屋に流れていたのは、セロニアス・モンクのCD「ブリリアント・コーナーズ」だった。鳥飼久美子、セロニアス・モンク。この二人の名前で、「あっ、そうだ!!」と気がつく人がどれだけいるだろうか。
 私が初めて「動くモンク」「演奏しているモンク」を見たのはNHKテレビで、その番組で通訳をしていたのが鳥飼久美子。NHK教育テレビのテキストを眺めていて、モノクロのテレビ映像を思い出してしまったことで、それ以後数日間、大変な日々を送ることになってしまったのである。
 あの番組は、なんだったのか、タイトルなどまったく覚えていないが、いくつかのキーワードでネット検索をしたら、ふたつのことがわかった。ひとつは番組タイトルが「世界の音楽」で、1968年1月から1974年3月まで放送したらしいこと。ネット検索でわかったもうひとつのこととは、この番組の資料はNHKアーカイブスにもないということだ。
 この番組に関して私が知りたかったのは、どういう人が出演したのかということだ。1970年前後という時代の日本で、「世界の音楽」というタイトルで、どういう人を出演させたのだろうか。NHKが選んだ、当時の「世界の音楽家」とはどういう人で、同時にどういう人が来日していたのだろうか。1970年、大阪万博の食べ物事情をちょっと調べたら、次は音楽事情も知りたくなったのである。
 この番組に関して、インターネットはほとんど役に立たないことがわかったから、前々から気にはなっていたが買わないでいた本を、注文することにした。『ザ・テレビ欄 1954〜1974』(テレビ欄研究会編、TOブックス、2009)は、新聞のテレビ欄だけをそのまま縮刷版にしたものだ。1974年まで出ているなら、これ一冊で大丈夫を思って注文したのだが、届いてすぐに、おのれのおろかさに気がついた。20年分のテレビ欄をそのまま全部載せたら、365ページ×20年=7300ページになる。そんな本があるわけもなく、当然ダイジェストだ。まあ、それでも、「世界の音楽」の一端でも分かればいいやと調べ始めた。
 番組が始まった1968年1月の番組表はないが、4月の1週間は載っている。しかし、そんな番組は載っていない。どういうわけだ。10月9日(水曜日)の番組表には載っていた。夜の9時40分から10時30分まで50分間。出演者は「クララ・ウォード・シンガーズ 立川澄人 デューク・エイセス」となっている。あれ、立川澄人? この字でよかったか、立川清登ではなかったのか。疑問や不満が湧き出してしまい、どうにも収拾がつかなくなったので、本腰を入れて、ついに図書館に行くことにした。当時の新聞の縮刷版はないので、マイクロフィルムで調べることになった。6年分だから、1日や2日では終わらない。図書館に通学することになってしまったのである。