363話 校正・校閲、あるいは編集者の仕事  10

 校正や校閲の話は、思い出せばいくらでも出てくるし、資料も豊富にあるものの、出版関係者以外にはあまり関心がないだろうから、このテーマの話は今回で最終回にする。
 その編集部はもうこの世に存在しないから、書いてもいいだろう。私が体験した最悪の編集部のことだ。校正や校閲というものを知らない編集部のことだ。素人が編集しているミニコミ誌ではない。歴史ある有名な雑誌を出していた、有名な会社の編集部だ。
雑誌「旅」が、まだJTBから出版されていた最後の時代に、私は「異国憧憬 戦後海外旅行史」という連載をしていた。この連載をまとめて単行本にしたのが『異国憧憬 戦後海外旅行外史』(JTB,2003)なのだが、JTBから出した単行本にもかかわらず、「あとがき」には連載のことも、担当編集者の名も出てこない。意識して触れなかったのだ。
 JTBの出版の仕事は1980年前後に多少やっていたことがあり、素人集団であるということはすでに知っていた。先月まで、JTBの支店で切符を売っていた人が、いきなり編集部勤務になる職場だった。だから、連載を始めたとき、プロの手並みを見せてくれるとは期待していなかったが、これほどひどいとは思わなかった。
「異常な編集部だ」と最初に気がついたのは、連載の2回目「音楽にみる海外」のゲラを読んでいたときだった。原稿にあるはずの数行分ほどが、ゲラでは抜けているのだ。日本人に異国情緒を感じさせるように作りだされた歌のひとつとして、「イヨマンテの夜」(作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而、歌:伊藤久男 1949年発表)に触れた60字ほどの文章が、そっくり削除されていることに気がついたのだ。
 原稿に問題ありと編集部が感じたときは、すぐさま筆者に連絡を取って書きなおしを依頼するか、それほど緊急性がない場合は、編集者がゲラに「この部分、この表現はきつすぎませんか?」とか「事実誤認だと思いますが、再確認してください」などと記入するものなのだが、筆者になにも連絡せずに文章を勝手に削除してしまうというのは、言語道断だ。「アイヌに題材をとった「イヨマンテの夜」(作詞・・・・)」という文章が、編集部の判断でいきなり削除された理由がわからない。
ほかにも、編集者が勝手に改変した個所もあり、あまりにひどいので編集部に抗議した。そのときの編集長の返答はこうだ。
「かつて、JTBの旅行パンフレットでアイヌに触れ、強い抗議を受けたことがあり、それ以来、ウチの出版物ではどういう内容であれ、一切アイヌには触れないことになっているので、原稿からその部分を削除しました」。いま風の言い方をすれば、「それで、なにか?」という態度だった。この事件で気がついたのは、雑誌「旅」は書店で売られている一般雑誌とは違い、航空会社やカード会社などが発行している企業PR雑誌と同じだったのだ。出版の常識ではなく、企業の都合を最優先する編集部なのだということがよくわかった。
 この先、必ずまた事件が起こるという予感がしたので、もう連載をやめようかとも思ったが、海外旅行史を連載してくれる雑誌は他になさそうなので、身の不幸を感じつつ、ここはひとまずガマンしようと決めた。
数カ月してやはり悪い予感が当たり、またもめごとが起きた。「前川は、文句が多いからだ」と思う人がいるかもしれないが、次のような事件でも、やはり「前川が悪い」と思いますか。
 事実のままに正確に書くと長くなるので、骨子を別の例で説明しよう。たとえば、私が旅に持っていくカメラについて、「性能の良い一眼レフがいいが、万が一故障した場合を考えて、ポケットカメラも持っていったほうがいい」と原稿に書いたとする。ところが、ゲラを見ると、「・・・・・ポケットカメラも持っていった方がいい」という文章の後に、「という人もいるが、荷物になるので、薄型のポケットカメラ1台で充分でしょう。一眼レフカメラは必要ない」と、著者に連絡もなく編集者が原稿に加筆しているというような例だ。誤解のないようにもう一度言うが、これはあくまで、仮定の例であって、実際の事柄は違うが、いきさつは同じだった。
 最初は、駆け出しの編集者が、編集の常識を知らないからやった狼藉だと思っていた。原稿の「英語新聞」を、編集者が勝手に「英字新聞」と改変したために、ゲラでは私は絶対に使わない「英字新聞」になっていたことがある。ゲラの「英語新聞」を、「英字新聞では?」と鉛筆で記入するならかまわないが、原稿に手を加えてしまう編集者なのだ。
 だから、加筆は駆け出し編集者の仕業だと思っていたのだが、じつは編集長の手によるものだとわかった。すぐに、抗議の電話をした。
「署名原稿に、勝手に加筆するとはあまりにひどいでしょう。編集部で言いたいことがあるなら、囲み記事にして、『編集部から』といったコラムにするなら自由ですが、私の原稿に、編集部の意見を勝手に挿入しないでください」
これに応えた編集長のセリフがすごかった。
「署名原稿だろうが、ウチの出版物のすべての責任を持つのは編集部ですから、原稿をどういじろうが、編集部の自由です」
唖然として、二の句が継げなかった。
 こういうこともあった。JTBの雑誌「旅」なら、日本人の海外旅行史の資料が豊富に、しかも簡単に手に入るだろうと考えて、私が「旅」編集部に企画を売り込んで連載を開始したのだが、資料収集に協力的だったのは、実業之日本社ブルーガイド海外版編集部と地球の歩き方編集部といった同業他社で、JTB側の資料は役所のような理屈を並べてなかなか出てこなかった。失望感でイライラしていたので、事実をそのまま原稿にしたら、不思議にもそのまま紙面に出た。すると、編集長がJTB重役に呼ばれ、「ウチの悪口が書いてある文章を、ウチの雑誌に載せるとは何たることか!」としかられたので、筆者前川が編集長に呼び出されることになったというわけだ。「ウチの出版物にすべて責任を持つ」といっていた編集長が、今度は連載中止をほのめかしながら、「なんであんな文章を書いたのですか」と筆者に詰問したのには、むしろ笑った。他の人ならともかく、編集部では原稿を読んでいるじゃないか。役所だよなあ、あそこは。
 ガマンにガマンを重ねて連載を終わらせ、単行本にまとめた。数年後、その『異国憧憬』は、行きつけの書店から、「注文しても入荷しませんね。品切れ・増刷未定(事実上の絶版)ですね」という連絡を受けて、その事実を初めて知った。単行本の担当者も、仕事をしていない。まともな出版社なら、品切れになる前に、著者に声をかけるものですよ。あるいは、品切れになったという事実を、著者に連絡するものですよ。
 この単行本は、いまではアマゾンで定価の3倍以上で売られているようだが、「ぜひ、今度はうちで改訂新版を」と言ってくる出版社はない。売れない本だからだ。私も1冊しか持っていない。