362話 校正・校閲、あるいは編集者の仕事  9

 近所の図書館では、入り口そばに本が山と積んであり、「ご自由にお持ち帰りください」という表示がある。ちょっと前まで図書館で所有していた月遅れの雑誌や、図書館に寄贈されたものの、審査の結果、収蔵されなかった本などが、このコーナーで山になっている。きょう、久しぶりに図書館に行ったら、ちょっとおもしろそうな本があって、5冊もらってきた。帰宅してその1冊、『言葉の常備薬』(呉智英双葉社、2004)のページをパラパラとめくったら、「校閲」という文字が目に入った。産経新聞校閲部長の塩原経央の文章には誤りが多く、自分の文章は校閲しないようだとか、「産経抄」というコラムを書いている石井英夫の文章は、誤文悪文の見本のような文章だといった話が載っている。エライ人の文章には、「ネコに鈴」で、手を入れる人がいないようだ。
 さて、きょうの話。
 編集者は、仕事とは関係ない文章を読んでいても、職業病で日本語が気になるらしい。「てにをは」や、カメラのCanonは「キャノン」と読むが、表記は「キヤノン」とするといった企業名や商品名の表記や、「役不足」と「力不足」を取り違えているような文章だったり、ことわざや人名などの間違いが気になってしかたがないらしい。「役不足」の例を出したのは、この前の内閣改造で、大臣だったか政務次官だったかになった人が、マスコミのインタビューに答えて、「役不足ではありますが、誠心誠意務めさせていただきます」と言っているのをラジオで聞いて、椅子から落ちそうになったからだ。「彼の実力に対して、こんな低いポストでは役不足」と使うのであって、「私の能力ではわずかな貢献しかできませんが」というのが「力不足」だ。「つましい」と「つつましい」の混同もよくある。質素な生活をしているのは、「つつましい」ではなく、「つましい」なのだ。
 私は編集者でも、ましてや校正者でもないので、日本語の表記はその道のプロほどには気にならない。本を読むときは、ざっと内容を理解することに神経を使っているので、本筋に関係の無いことなら、ほとんど気がつかずに読み飛ばしている。外国語のカタカナ表記の問題は、大いに気になるが、ここでは書かない。
 しかし、こういう体験もしている。以前読んで、大いに感動した本があって、原稿を書くときに、その本の一部を引用して紹介しようと数行分を書き写していたら、その人の文章は、句読点や接続詞の使い方がでたらめで、日本語の文章としては相当にひどいものだと初めて気がついた。内容がおもしろいので、ついそちらに引っ張られてしまい、欠陥文章には気がつかなかったのだ。
 私が気になる文章というのは、日本語の問題ではなく、内容に関することなのだ。読んでいて「異変」に気がつくと、調べながら読むことになり、1冊読むのに何日もかかることになる。ときには、調べた結果の、いわば正誤表を出版社に送ることがある。間違いのままいつまでも恥をさらしているのは気の毒だと思うから、増刷されるようなことがあれば直したらいいという考えだ。担当編集者からは礼状が来ることはあるが、著者からも礼状が来ることはまれだ。記憶に残っている例では、『アジア四十雀』(森まゆみ平凡社、2001)を読んでいたら、東南アジア事情に関することで、明らかな誤りがあり、編集部に校正表を送ったら、担当編集者と著者の両方から丁寧な礼状が届いたことがある。こういう態度は、私も見習わないといけないとは思うが、売れないライターの文章を校正してくれる読者はほとんどいない。誤解のないようにはっきり書いておくが、礼状が欲しくて、校正しているわけではなく、間違いかどうか気になって、調べてみるとやはり間違いだったので、編集者に知らせておきたいというお節介だ。
 新時代の正誤表というのを、ちょっと前に体験した。『無一文の億万長者』(コナー・オクレリー著、山形浩生・守岡桜訳、ダイヤモンド社、2009)を読んだときの体験だ。この本についてはすでに書いたが、おもしろい本なので、もう一度簡単に紹介しておく。世界の空港や街にあって、韓国人や中国人の旅行者が登場するまでは、日本人旅行者御用達の店といってもいいほど日本人で埋まっていたDFS(デューティー・フリー・ショッパーズ)の創業者であるチャック・フィニーの伝記である。彼は、このビジネスで巨万の収入を得たが、そのほとんどを慈善団体に寄付をしているので、家は持たず、食事はハンバーガーで済ませ、移動はエコノミークラスという暮らしをしていた。
 この本は、日本人旅行者を迎えて大金を使わせた側の記録なので、日本人の海外旅行史の資料が詰まっている。しかし、著者は日本の海外旅行史には疎いようで、少なくとも2カ所の間違いを見つけた。本を読んでいるときは、傍線を引いて、付箋をつけていただけだが、読み終えて奥付のページを見ると、翻訳者のひとりである山形氏のメールアドレスが書いてあり、間違いなどに気がついた方は連絡くださいと書いてある。
 すぐさま、訂正した方がいい個所をメールで知らせた。数日後、山形氏からメールが来た。間違いを教えてくれてありがたいという礼のあと、「翻訳は原文通りなので、著者の間違いでしょう。次のサイトに正誤表を載せました」という文章の後に、URLがついていた。そのサイトは、山形氏が翻訳した本の正誤表などが載っていた。本があまり売れない時代なので、「増刷時に訂正する」と予定しても、いつまでたっても増刷されない本が多いので、ネット上に正誤表や付記を書きこむのはいいアイデアだ。
 とはいえ、やはり使い方が問題で、私が正誤表を送ったあるライターも自分のサイトを持っていて、書評など自分にとって嬉しい文章は再録しているが、私が指摘した誤記については無視している。