660話 きょうも散歩の日 2014 第18回

 なんとも運の悪い人 前編

 
 グエル公園に行った朝のことは、この雑語林の第15回で書いた。頭の中の時計を、あの日の朝に戻してほしい。雨がやっとやんだ朝から、この話が始まる。
 グエル公園から、コスモ・カイシャに行った。この施設を内容に沿って説明すれば、「バルセロナ科学教育館」である。子供向けに科学の謎を解明して見せるという施設だが、そういうことを知らずに、科学博物館だと思ってグエル公園から歩き出したのだ。簡単に見つかると思ったのに、だいぶ迷ってしまった。その理由が、今ウィキペディアを見て、わかった。この施設は1981年に「バルセロナ科学館」としてオープンしたのだが1998年に閉館し、2004年に「コスモ・カイシャ」の名で再オープンしたという。しかし、道路に立つ英語の標示は、98年までの”Science Museum of Barcelona”(スペイン語名は、Museo de Ciencias de Barcelona”)のままで、”Cosmo Caixa”という現在の名前での案内板はその建物の前に来ないと見つからない。旧名を知らず、「名が変わったが、道路の案内表示は16年たっても旧名のまま」という事情も知らない私は、すっかり迷ってしまったのだ。後から考えれば、それは、これから起こる不幸の前兆だったらしい。スペインの恐ろしさを、まだわかっていなかったのだ。
 コスモ・カイシャから、行き先を確かめずに来たバスに乗った。迷子になってもおもしろいという遊びだ。「どこにでも行け!」という思いだったが、それほど長いドライブでもなく、終点に着いた。地図で場所を確認すると、バルセロナ大学がある地域だ。ということは、ちょっと行ってみようかと考えていた陶器博物館が近くにあるということだ。同じ場所にある装飾美術館やテキスタル衣装博物館にはほとんど興味はないが、まあ、ついでだから見ておくかと、地図を見ながら博物館に行った。こちらは苦も無く簡単に見つかったが、建物の前に「移転しました」の張り紙があった。ああ。特に見たいというわけでもないので、移転先はメモしなかった。
 この近くにグエル別邸があって、その門は見たいので散歩する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%82%A8%E3%83%AB%E5%88%A5%E9%82%B8
 この門の、羽根のある龍を見た人の80%は、「映画『エイリアン』は、これがモデルだな」と思ったに違いない。土日ではないので内部には入れないが、門とその周辺を見れば、それで充分だ。
 次の目的地は、カサ・ミラの近くにあるCasa Asia。スペイン語ではカサ・アーシアという発音になる。ガイドブックによれば、アジア各地の音楽と映画の資料や美術品の展示もあるらしい。ここから歩くには距離がありすぎるので、地下鉄に乗った。ちょっと遠回りの散歩を考えて、カタルーニャ広場に出た。高級ブティックが並ぶグラシア通りを散歩してから、ディアゴナル大通りを右折して、カサ・アーシアに向かった。ガイドブックの写真で、特徴のあるその建物は見ているからすぐわかった。なかに入ると、なんかおかしい。外国語学校だ。受付で「カサ・アーシアは・・・」と言うと、おばさんはスペイン語で話し、それでも私にはわかった。サン・パウ(聖パウロ)病院に移ったという。きょう、4館目の移転だ。また、散歩だ。
 歩きだしてすぐ左手に、塔を持つアパートが見えてきた。地図で名前を確認して、あとで調べてみたら、ジュセップ・プッチ・イ・カダファルク(1867〜1957)設計のカサ・デ・ラス・プンシャスだ。カタカナの早口ことばのようで頭が混乱するだろうが、こういう建物だ。
http://4travel.jp/overseas/area/europe/spain/barcelona/kankospot/10396561/
 東に向かって40分ほど歩き、サグラダ・ファミリアの脇を抜けて、サン・パウ病院に着いた。カタルーニャ語でSant Pau、スペイン語ではSan Pablo。この「パウ」は、病院建設資金の出資者である銀行家パウ・ジルにちなんでいる。バルセロナの地図をいつもじっくり見ているから、場所はよく知っていた。こんな姿の建造物が、2009年まで現役の病院だったというのだから、驚きだ。一般公開されたばかりだが、今後人気スポットになるだろう。この病院の建設期間は資料によって実にマチマチで、最長だと1901~1930年まで続いたことにある。建物がいくつもあるから、どの建物が完成した時点で「完成」とするかで意見が分かれるのだろう。設計者は、ガウディーの陰に隠れてその名はあまり知られていないが、リュイス・ドメネク・イ・ムンタネー(1850~1923)だ。この病院のほか、カタルーニャ音楽堂アントニ・タピエス美術館なども手掛けている。
http://kamimura.com/?kankocat=%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%80%80%E3%83%91%E3%82%A6%E7%97%85%E9%99%A2
 門のそばに、どの建物にはどういう施設が入っているといった案内板が立っているのだが、どこにも”Casa Asia”という文字はない。先ほどカーサ・アーシアがあった建物で、「サン・パウ病院に移転した」と言ったおばさんの説明は、聞き違いだったのだろうか。ほとんどスペイン語ができない私が聞いた情報なので、もちろん確信などない。サン・パウ病院の職員らしき人に聞いたが、英語がまったくできない人で、「マニャーナ」(あした)というだけで、カフェのほうを指さした。カフェに行くと、「どうしました?」という英語が聞こえた。若いウエイターだ。「カサ・アーシアを探しているのです」と言うと、「あー、カサ・アーシアね」と言いつつ、私が手にしているバルセロナ地図をみて、「ここ」と指さした。それは、病院のすぐ外だ。病院の塀を隔ててすぐ外側らしいので、方向的には間違っていなかったようだ。
 広大な病院敷地の外側を数百メートル歩き、塀のそばの、「ここ」と指さされた地点に来てみたが、そこはアパートが立ち並ぶ住宅地だ。ここじゃないだろという感触があり、誰かに聞こうかと思ったがおさな子と遊んでいる若い母ふたりがいるだけだ。英語は通じるかどうか心配しつつ話しかけたら、ふたりとも英語が堪能で、しかも事務能力に優れているから、彼女らは聞いたこともないCasa Asiaなる施設をスマホで検索し、住所と地図上の位置をすぐさま教えてくれた。場所は、やはり病院の敷地内だ。スマホなど持っていないから知らなかったのだが、スマホがあれば、こういうことがたやすく手際よくできるのだなあと、初めてわかった。それにしても、スペイン語はいい。私がカタカナ発音のスペイン語で「カサ・アーシア」と言っても、路上で会ったふたりの母は、聞き返すこともなくすぐさまスマホで、”Casa Asia”と検索語を打ち込んだ。同じことは、カンボジア語や中国語やビルマ語では、まずできない。発音が難しすぎるのだ。
 そのあとのことを詳しく書くと、それだけで1万字くらいの文章になるだろう。簡単に言えば、病院敷地内で5人のスペイン人にカサ・アーシアの場所を聞き、5人が5通りの答えを口にし、純真無垢な旅行者である私は、言われたままにうろちょろと1時間ほど歩き、結局わからなかった。もう、夜だ。警備員が、「明日、朝、またここに来なさい。きょうはおしまい」と言った。
 とぼとぼと帰る途中、サグラダ・ファミリアのライトアップを見た。マクドナルドからは、この教会は見えない。座ってゆっくり見られ場所で、安くて寒くないのは、KFCの2階席がベストではないか、トイレもあるだろうしなどと観察しつつ、やはり歩いてカタルーニャ広場に戻った。