バルセロナを中心とするカタルーニャ地方は、マドリードを中心とするカスティージャ地方に吸収合併され、カタルーニャの文化が封印された歴史がある。選挙で成立した共和国政府に対して、将軍グループが率いる軍が反乱を起こしたスペイン内戦(1936~39)では、カタルーニャやバスクは自治権を求めて共和国側の人民戦線に加わり、反乱軍と戦った。この内戦は反乱軍の勝利に終わり、軍部の独裁政権が誕生した。その結果、人民戦線に加わった者数万人(実数は不明)が虐殺され、カタルーニャは中央政府からより強い圧力を受けることになった。そういう歴史から、カタルーニャはさらに「親カタルーニャ文化」になり、「反中央権力」の思想が強くなっていく。
カタルーニャは、併合という意味では琉球王国であり、敗北者の悲哀という意味では会津に似ていなくもないが、琉球とも会津とも似ていないのは、圧倒的な経済力だ。スペインの産業革命はカタルーニャから始まり、繊維の街になる。強大な貿易港でもあった。経済的には、スペイン経済の柱のひとつがカタルーニャ地方なのである。カタルーニャが懸命に稼いだ富を、「あまり働かないで遊んでいる人たちがいる地域」のために使われているという不満がある。つまり、差別されてきたカタルーニャは、ほかの地方よりも豊かだというのが独立運動のポイントのひとつだ。この点は、ベルギーやイタリアの南北問題に似ている。
豊かなカタルーニャに対するねたみから、「カタルーニャの人間はカネのことばかり考えている守銭奴」といった中傷を受けている。言葉の点でも、金銭感覚の点でも、日本人には大阪のイメージであり、カタルーニャは大阪の郷土愛や反中央の思想に通じるところがあるものも、バルセロナは大阪的な街ではまったくない。端整な街だ。
2014年11月9日に、カタルーニャ独立を問う住民投票が行われたのだが、その2日前にジローナにいた。Gironaという地名自体、カタルーニャ語だ。そのままスペイン語式に発音すれば、「ヒローナ」だが、スペイン語ではGerona(ヘローナ)と言う。現在の日本語ガイドではカタルーニャ語の「ジローナ」という表記が多いが、スペイン関連書ではスペイン語の「ヘローナ」という表記も見かける。他の国でもあることだが、地名をどの言語で表記するかによって、その政治姿勢などを問われることになるので、観光案内でも難しい問題がある。
カタルーニャとは、狭義にはスペインの行政区分の「カタルーニャ自治州」を指す。その面積は3万2000㎢。関東地方1都6県の広さとほぼ同じだ。人口は、約740万人。自治州だから、州政府があり、州の首相もいる。州都がバルセロナ。カタルーニャの街でよく見る黄色と赤の縞の旗が、州の旗だ。広い意味のカタルーニャは、カタルーニャ語が話されているカタルーニャ文化圏のことで、マジョルカ島などがあるバレアレス諸島、そしてアンドラ国やイタリアのサルデニャ島の一部などもその範囲内だ、
ジローナの宿の主人は、40代の魅力的な女性で、政治活動家だ。部屋にデスクがないので、私は食堂で日記を書いていた。彼女は9日の投票のために電話での指示やパソコンでの文章作成に忙しく働いていた。この機会だから、カタルーニャ独立の話を聞きたいと思ったが、とてもそんな余裕はない。固定電話で話しながら、メールを打っているくらい忙しい。電話の話し声を聞いていると、スペイン語とは違う音だということがわかる。語尾の子音を発音しないとか、言語的にはフランス語に近いそうだが、発音もスペイン語とはだいぶ違う。地理的にも、ここからフランス国境まで鉄道で数時間ほどか。カタルーニャ州はフランスと国境を接しているが、もちろん出入りは自由だ。隣りの国は、隣りの街と変わらない。
「お客さんを放っておいて、すいません。今、とにかく忙しくて。私が何をしているのか、これを読んで理解してください」といって、パンフレットを手渡した。「カタルーニャにようこそ」というパンフレットで、スペイン語、英語、フランス語、ドイツ語で書いてある。「カタルーニャ語は現在900万人が話し、これはデンマーク語やスウェーデン語、そしてギリシャ語に匹敵する」とあるが、より重要なのは正書法が確立されていることだと私は思う。文法が研究され、正書法が確立され、カタルーニャ語の出版物が数多くある。
カタルーニャ独立に対する住民投票に関する情報はネット上にいくらでもあるので、そういうものを見てもらうとして、投票日前後に現地にいた者の感想は、「それほどの盛り上がりでもなかった」だった。投票日の前日にジローナとフィゲラスにいて、当日はバルセロナにいた。広場で、「投票に行こう」という集会やコンサートが行われていたが、多数の参加者がいたという印象はない。結果的には、投票者の圧倒的多数が独立支持だが、投票率は40%弱だった。かつて、スペインはヨーロッパ諸国への労働力輸出国だったが、20世紀末から、スペインは外国人労働者受け入れ国となった。大都市バルセロナやその近郊にも、スペイン全土や中南米など外国からも多くの労働者が移住してきた。彼らの多くはスペイン語はわかるが、カタルーニャ語にもカタルーニャ文化にもなじみがない。経済的に豊かな場所に、よそ者が多く集まる。外国人はもちろん、スペイン人であっても、労働者層にカタルーニャ文化に関心のない者がどんどん多くなる。これが独立運動の泣き所でもある。
カタルーニャ語やそのほかカタルーニャの情報は、『カタルーニャを知る事典』(田澤耕、平凡社新書、2013)などを参考にした。この分野の資料は多い。
ついでだから、ジローナのことも書いておこう。フィゲラスに行く途中に、たまたま泊まることになった街で、その日までこの街の名前すら知らなかった。だから、期待や予想や先入観などまったくなしにこの街に着き、散歩をすることになったのだが、大正解だった。ガイドブック的な意味での「見どころ」はほとんどない。遺跡や宗教施設はあるが、取り立ててどうということはない。この街の魅力は、中央を流れる川のある風景と、旧市街の中心地「ユダヤ人街」だろう。スペイン育ちのイギリス人で、今はドイツに住んでいるという人と宿で出会った。
「30年ほど前のこの旧市街は、落書きだらけの、いわゆる「危険地帯」だったんですが、それじゃまずいということで、街の人がみんなで整備して、今のような魅力的な路地にしたんですよ」
そういうだけあって、ここの路地は魅力的な迷路だ。だから、夜の散歩は迷路から抜け出せないかもしれないという恐怖はあるが、それもまた楽しい。
この街にふさわしい過ごし方は、カフェでコーヒーを飲みつつ、ひたすら読書。スケッチや翻訳か、エッセイなどを書いて、午後は散歩。バスで郊外に出る。ヒマそうにしている大学生たちと雑談、そして美術館に行く。退屈の楽しみ方を心得ている人は、楽しめる街だ。
http://www.catalunya-kankou.com/catalunya/girona.html