869話 いやな日本語


 巷には、正しい日本語の本や、間違った日本語を指摘する本など各種多数出版されている。日本語学の問題ではなく、エッセイで、「感覚としてこういう日本語はいやだ」と例にあげている日本語は、私もいやだ。耳障りな言葉だ。個々の例をあげる前に、「嫌な言葉の大枠」を書いておく。「こういう表現は間違っている」という本は多いが、「こういう日本語表現は嫌いだ」という本は、たぶんほとんどない。個人の好みの問題だから説得力がないのだが、日本語の表現という問題では、それほど間違っていないことを言っていると思う。
 1、流行語、若者言葉が嫌いだ・・・・「そりゃ、じいさんは若者の言葉は嫌いだろうよ」と言いたくなるだろうが、それは違う。私は少年時代から、若者言葉が嫌いだった。学生運動活動家が使うことばも、不良(部分的には「つっぱり」とも言った)の言葉も、マンガやテレビなどの流行語も嫌いだった。だから、今の歳になったから、若者言葉が嫌いになっているというわけではない。もっとも嫌いなのは、おっさん週刊誌が、流行語を見出しにして、「どうだ、かっこいいだろ」と得意になっている光景が嫌だ。私とは別の世界の話だが、会社で上司が得意げに「超〇〇」とか「激ヤバ」とか言っているのって、嫌でしょ。
 2、やたらに外国語を使うヤツはいやだ・・・・日常の会話で使うわけではないが、議論の場などで、自分がいかにインテリであるか、知能が高く教養が高いのだぞと示すために、三流の学者や官僚上がりの政治家が使いたがる日本語がいやだ。例えば、「コンテクスト context」(文脈)、「スキーム scheme」(枠組み)など、実に多くのカタカナ語を繰り出すが、それを的確な日本語にして表現する能力がないし、カタカナ語のまま使った方が自分を高く見せられると思っているヤカラ。最近の悪例は、「ダイバーシティ」とか「ワイズ・スペンディング」などカタカナ語が頻出した小池都知事所信表明演説だ。
以下、「あー、いやだ」と感じることばを羅列しておくが、賛同者は少数かもしれない。
 (レストランで)「コーヒーの方、お持ちしました」、「Aランチになります」
 (スーパーで弁当を買った客に)「お箸のほう、大丈夫ですか?」
 「なにげに」、「よさげな器」、「あの人、オレより3コ下だから・・・」、「やっぱ、オレは・・・」、「やばい」あるいは「やっべー」。ああ、みんな木村拓哉語か。
 まったく違う流れの話だが、「それは、細かいところまでよく気がつく日本人のDNAのせいで・・・」とか、「福岡県人のDNAが・・・」などと、やたらにDNAを使いたがるヤカラ。いやだねえ。同様に、他人や自分の行動の理由を、すべて血液型のせいにするというのは、日本語の問題ではなく思考力の問題か。科学的思考の欠如であり、行動の理由や結果を血液型のせいにする非論理性がいやだ。姓名判断とか星座占いなども、同じ穴のむじな。
 そばを食べて、「日本人に生まれてよかった」という食べタレ(食べて褒めるのが仕事のタレント)の常套句。「日本で、こういうそばが食べられる幸せ」というなら、何の問題もないのだが、国籍で味覚を規定するという考えがいやだ。