979話 大阪散歩 2017年春 第18回

 大阪の本 エッセイ

 大阪の資料を買い集めているときに、ちょっと気になったことがある。生涯大阪に住んだ作家司馬遼太郎は、大阪をどう書いているのかということだ。私は司馬の本とは相性が悪いので、本探しをしていても通常は司馬の名は浮かばない。読む気のない作品を書く人だと思っていた。
 今まで司馬の本は何度か手にしている。司馬の本を最初に買い、読んだのは、『人間の集団について ―ベトナムから考える』(中公文庫、1974)で、それ以後『街道をゆく』の台湾など外国紀行編を何冊も手にしたものの、くねくねと曲がるあの文章についていけず、読むのをやめた。それから長い月日が流れ、2016年のイベリア旅行に際して、『街道をゆく 南蛮のみち』を読んだ。今回、大阪について調べているうちに、ふと司馬を思い出した。『南蛮のみち』を探していた時の記憶では、司馬の『街道をゆく』シリーズには、大阪編はなかったような気がしていた。大阪を舞台にした小説はあるが、大阪論とか「私の大阪」とか「往時の大阪」といった内容の本があった記憶がない。インターネットで調べる限り、山ほど本を書いてきた司馬なのだが、大阪の本は1冊も書いていないようだ。「それは、なぜだ」という疑問が沸き上がってきた。
 超売れっ子作家になっても東京に移住することなく大阪生活をやめなかった作家なのに、大阪の本を書いていないらしい。私の関心は「大阪」よりも、「司馬と大阪」になり、その方面の資料を探していたら、恰好のものが見つかった。「司馬遼太郎は『大阪』をどう見ていたか。」を特集にした雑誌が、「大阪人」(2012年3月号)だとわかり、さっそく取り寄せた。
 この雑誌を読んでわかったことは、私の想像通り、大阪を舞台にした時代小説は書いても、真正面から大阪と対峙した評論やエッセイを、司馬は1冊も書いていない。雑誌に発表した短い文章はあるが、1冊まるごど大阪という本はない。雑誌「大阪人」の司馬特集では、小説でしか大阪を書かなかった理由にまったく触れていない。多くの執筆者が司馬を書いていながら、大阪の本を書かなかった司馬を論じていない。「街道をゆく」シリーズでも、堺や京都や滋賀を取り上げているが、なぜか大阪は避けている。この特集最大の不満と疑問は、そこだ。
 この「大阪人」に、大阪市の依頼を受けて書いた長い文章、2段組28ページの「大阪の原形 ―日本におけるもっとも市民的な都市」(非売品)を再録している。このエッセイは、縄文時代から話が始まり、幕末で終わる、例のくねくね曲がるとりとめのない文章だ。気になるのは、書き出しの部分だ。ずっと大阪に住んでいると、よほど大阪が好きなんですねといわれるが、「そうでもない」と書く。むしろ「きらいです」と答える。その感情は、大阪はすでに自分と同化しているからで、「大阪は好きですか」と聞かれるのは、「ご自分を好きですか」と聞かれるのと同じで、「ええ、大好きです。自分の顔も体型も声も思考も趣向もすべて大好きです」とは答えにくい。世間の大阪本のように、気楽に大阪大称賛本など書く気になれないという感情は、わかる。
 私にとってタイがそういう存在だった。あの国の嫌な部分も知っているから、ちょっと観光旅行した人のような、「タイ人ってとっても優しくて、料理がおいしくて・・・」というようなうぶな感想は書けない。「タイを、とてもお好きですね」と言われても、「はい、とっても好きです」とは答えにくい。そこはわかるが、司馬が大阪の本を書かなかった理由はわからない。もう一度書くが、この雑誌「大阪人」で「司馬の大阪」を論じる多くの書き手が、この問題を取り上げない理由はもっとわからないのだ。
 そういうわけで、司馬以外の本を探す。
 『米朝ばなし 上方落語地図』(桂米朝講談社文庫、1984)は、この文庫が出た時におもしろく読んだという記憶はあるが、細部の記憶はない。落語の舞台になっている大阪を、その落語とともに紹介するという名著だが、読み手である私が大阪をまるで知らないのだから巧みな話術が心に届かない。再読しようとしたがあの本がどこかに消えたようで見つからず、また注文した。大阪散歩をしながらこの文庫を読み続けるという目論見だったのだが、昼は読書の時間を惜しんで散歩をし、夜は関西ローカルのテレビ番組を探して見ていたので、本を読む時間がなかった。帰宅して、じっくり読み始めた。気を入れて大阪散歩をした後に、大阪の詳細地図を広げてじっくりとこの文庫を読むと、行間も頭に入っていく。米朝師匠の話芸が私にも届く。
 予備知識もなく期待もなしに注文した本のなかに、ちょっとおもしろい本があった。『大阪の格言』(小杉なんきん、徳間文庫、2014)は、一言でいえば大阪流人生訓集で、私は人生訓の類は大嫌いなのだが、大阪人研究資料として読めば、ちょっとおもしろい。人生訓とその意味を解説している辞書風の構成だ。例えば、こういう具合に。
「ポケットに象が入るか?」→不可能な要求をされたときの反論の言葉。
「下向いてても、地べたしかないぞ」→落ち込んでもしょうがない、胸を張れ!
「再スタートはゼロからちゃう。マイナスからや」→人生は簡単にやり直せない。
「皿回しが、皿に回されたらあかん」→仕事に振り回されてはならない。
「たぶん宇宙から来た人やろ。それでええがな」→どんな人も受け入れてあげよう。
「おもろないヤツと世界一周するより、おもろいヤツと立ち話や」→おもしろいが一番。
こういう格言、島田紳助が好きだったなあ。