1387話 「応答せよ」と韓国現代史 その5

 アメリカ式ファーストフード

 

 ドラマ「応答せよ 1988」には、西洋の食べ物がしばしば登場する。ソウル北端の住宅地にも、「西洋の食」が入り込んでいたことがわかる。積極的に西洋の飲食物を受け入れていたのは、宝くじが当たって急に裕福になったキム・ジョンファンの一家だ。この家庭には、ピッチャーに入った黄色い飲み物がいつもある。これは多分オレンジジュースだろうと思われるが、果汁が何パーセント入っているかはわからない。根拠はまったくないが、100%オレンジジュースではないと思う。テーブルの上にはインスタントコーヒーと粉末のコーヒーミルクのビンがのっている。当時、喫茶店に行っても、インスタントコーヒーを出していた。

 ピザとフライドチキンは買ってきたものだ。ピザは紙の箱に入れて持ち帰るシーンがたびたび登場することを考えると、少なくともこの地域にもピザ屋はあるが宅配はなかったのだろう。ドラマの登場する高校生の親の世代も、ピザは「ごちそう」としてすでになじみがあるようだ。

 この横丁では金持ちのジョンファンの家だけが、ピザやフライドチキンを買ってくるだけではなく、家庭で西洋料理も作る。そういうときはハレの日なので、近所の人を招く。スパゲティは金盥一杯作る。説明はないが、赤いソース(市販のトマトソースだろうか。コチュジャンということはないだろう)を注いで、右手でごしごし混ぜる。キムチ作りの手つきだから、笑える。集まってきた近所の人は、「イタリアのうどんか」と言う。スパゲティは丼に取り分ける。食べるシーンはないが、「麺の食べ方は世界共通」というセリフがあるから、韓国と同じように箸で食べたのだろうと想像させる。

 ハンバーグも家庭で作る。小皿のタクワンと白菜キムチとは別に、ハンバーグをのせた皿にはチョンガキムチ(小さな大根のキムチ)がのっていて、キムチを小さく切って、ハンバーグにのせて食べる。いくつかの食材をまとめて口に入れるのが韓国人の好みだ。例えば、左手に持ったサジに、箸で少しご飯を取ってのせ、その上に肉片やキムチなどをのせて口に入れるという食べ方だ。

 家族揃って外食するのも、この一家だけだ。日本ならさしずめ「洋食店」という位置になるのだろうが、本格的な西洋料理店よりは簡略化され安い「軽洋食」(キョンヤンシク)の店だ。一家が注文したのは、トンカス。日本語のトンカツの「ツ」が韓国人はうまく発音できないので、「トンカス」になるのだが、その姿もトンカツとはだいぶ違う。肉をたたいて徹底的に薄くして揚げたウインナー・シュニツェル(牛カツ)の豚肉版だ。このカツはウスターソースでもトンカツソースでもなく、ドゥミグラスソースで食べる。21世紀に入ってからだろうと思うが、日本のトンカツ店が進出し、日本風の厚いトンカツが登場した。

 1978年のソウルで、「トンカス」という食べ物とは知らずに、私もその料理を食べた。あまりに薄いので、ハムカツだろうと思っていた。あの料理が「トンカス」というのだと教えてくれたのは、関川夏央さんの『ソウルの練習問題』だった。

 1988年のソウルオリンピックを控えて、1987年から88年にかけて日本では韓国本が大量に出版された。書き手のひとりであった関川夏央さんは、「点数は多いが、売れた本はない」といった意味のことをエッセイで書いていた。売れなかったのかもしれないが、出版点数は多かった。あれから30年以上たって、当時の出版物が歴史的資料になってきた。1992年までの韓国関連書の一部は、すでにこのコラムでリストにしている。アジア雑語林491話(2013-03-29)

https://maekawa-kenichi.hatenablog.com/entry/20130329/1364539605

 本棚から『おいしい・ソウル』(榊原洋一郎著、金斗鉉・イラスト、洋泉社、1988)を出してきた。発売が1988年1月だから、取材は87年の夏だろう。その当時の写真と情報が豊富というだけでなく、日本語ができる韓国人イラストレーターによるイラストマップは、ソウルの変化を知る重要な資料だ。それなのに、インターネット上でこの本を取り上げているのは私ひとりらしい。

 さて、この本のチョンノ(若者が集まる地区)の項にこういう文章がある。

 「(この地区には)若者を意識したケンタッキーフライドチキンダンキンドーナッツ、サーティーワンウェンディーズシェーキーズロッテリアなどファーストフードの店の進出もめざましい」

 ソウルの中心地には、1987年の時点で、上に書いたようなファーストフード店がすでにあった。ソウルに姿を見せたばかりだから、韓国の地方都市ではまったく知られていない。「応答せよ 1994」は、1994年のソウルの大学生を描いているが、地方から出て来たばかり新入生は、こうしたファーストフードを知らない。そういう落差を描いているのだが、地方からソウルに出てきた新入生を演じたキム・ソンギュンが、「応答せよ 1988」では6年浪人の長男と高校2年生の次男がいる父親キム・ソンギュンを演じる(役名と役者名が同じ)。この一家が、上に書いたスパゲティやハンバーグを作る家の親父だ。普段バラエティー番組を作っているスタッフが作るドラマだから、こういうシャレた仕掛けを作っている。