2054話 続・経年変化 20

音楽 20音楽映画

 いままで、韓国映画ゴーゴー60」を紹介し、前回「耳に残るは君の歌声」や「永遠のマリア・カラス」を取り上げたら、音楽映画の話をしたくなった。ドラマもドキュメンタリーも、私が「音楽映画」だと思うものをここで取り上げるが、あらかじめ断っておかなければならないことがある。ひとつは、私はミュージカルがあまり好きではないということで、例外として「サウンド・オブ・ミュージック」と「ムーラン・ルージュ」の2作はおもしろかったと言っておきたい。もうひとつのお断りは、歌手やバンドの自伝的感動物語というのは、どうも苦手だ。ストーリーは似たり寄ったりで、役者の歌を聞くくらいなら、オリジナルを聞いたほうがいいと思うからだ。ただ、やはりその例外として「グレン・ミラー物語」と「ベニイ・グッドマン物語」を挙げておきたいのは、この2作でスウィングジャズの入門編を体験したからだ。新しい作品では「ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイを挙げておこう。音楽と政治を描いていて、単なる伝記映画ではない。それに加えて、ビリー・ホリデイを演じたアンドラ・デイの歌唱力がすばらしかったからだ。ダイアナ・ロスの「ビリー・ホリディ物語」とは比べ物にならない秀作だ。

 以下、私が「いいな」と感じた音楽映画の名を挙げておく。インターネットで「音楽映画」を検索すると、「映画音楽」の誤記と認識されることが多く、その障害をすり抜けていくと、ネットにあがっている音楽映画リストは配信の広告がほとんどで、商売を離れるポリシーはない。「あーあ」、である。私のリストは当然、商売とは関係ない。それぞれの作品の紹介をするときりがないので、興味があれば、ご自分で調べてください。順位はまったく意識していないが、ただ、圧倒的第1位は決まっている。ブルース・ブラザースだ。テレビ番組表にそのタイトルがあると、ついつい見てしまう。ただ、残念なのは続編がつまらなかったことだ。

 期待外れの音楽映画は、実は多い。「スタア誕生」(A Star Is Born)の1937年版(ジャネット・ケイナー)は見ていないが、1954年版(ジュディ・ガーランド)、1976年版(バーブラ・ストライサンド)、そして2018年版(レディ・ガガ)も、ピンと来なかった。

 「お断り」が長くなりすぎた。さて、行くぞ。今現在、こういう音楽映画が好きだという、とりあえずのリストだ。

ウッドストック・・・観客がやってくるシーンで流れるテーマ曲とサンタナの演奏がいい。

マッドドッグス&イングリッシュメン

サマー・オブ・ソウル・・・これもすばらしい。

シェルブールの雨傘・・・なんか、いいんだよね。

フォー・ザ・ボーイズ…第二次世界大戦からベトナム戦争までの軍の慰問歌手の話。

アメリカン・グラフィティ

グッドモーニング・ベトナム

ジャージーボーイ

パイレーツ・オブ・ロック・・・イギリスではラジオでロックは放送禁止だった。

海の上のピアニスト

戦場のピアニスト

スウィング・ガールズ

ビエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ

レッド・バイオリン

風の丘を越えて 西便制・・・ブルーレイが発売されたのはうれしいが、11000円だ。

ナビィの恋

ラッチョ・ドローム・・・各地のロマ音楽を紹介。2002年

Africa Live: Roll Back Malaria Concert・・・ロックはエイズに注目したが、マラリアは無視した。

AFRICA CALLING - LIVE 8 AT EDEN・・・イギリスで開催されたアフリカ音楽コンサート

迷子の警察音楽隊 2007年のイスラエル映画・・・なんとなく、可笑しい。

ピアノ・ブルース クリント・イーストウッド監督の音楽ドキュメント・・・総監督はスコセッシ。映画館では未公開。

 ああ、あれもこれもと、次々に思い出の映画が浮かんでくる。このリストに入っていない「我が名作」は多い。

 

 

2053話 続・経年変化 その19

音楽 19 クラシック

 なにげなく耳にしている音楽というなら、ジャズやロックや歌謡曲などよりクラシックの方が、その機会は多い。コマーシャルで使ったり、広報番組などの背後でクラシックが流れているからなじみは深い。有名な曲を、俗に「ポピュラー・クラシック」などと言うが、例えば、こういう曲だ。

 この20年くらいでもっともよく耳にするのは、パッヘルベルの「カノン」だろうが、ビバルディーの「四季」、エルガーの「愛の挨拶」と「威風堂々」、ビゼーカルメン」など、曲名をあげればきりがない。ふた昔前なら、「エリーゼのために」が電話の「お待ちください」の音楽だった。コマーシャルにもクラシックが多く使われてきた。

 初めて聞いた曲だが、いいなあと思って調べることもある。その代表的なのが、マスカーニの「カバレリア・ルスティカーナ」だ。曲名を知ってから、テレビなどで何度も耳にしているが、ローマを散歩中にどこからか、たぶん博物館のBGMだったかもしれないが、この曲が流れてきて、「おおっ!」と立ち止まったことがある。ピエトロ・マスカーニはイタリアの作曲家で、有名なのはオペラ「カバレリア・ルスティカーナ」の間奏曲だ。テレビで、このオペラを放送していて、オペラ嫌いの私でも一応見てみたら、やはりこの間奏曲のシーンだけがよかった。

 オペラと言えば、オペラが重要な要素になっている映画「耳に残るは君の歌声」(2000)が素晴らしかった。何の予備知識もなく、テレビでやっているから一応予約録画しておいただけなのだが、素晴らしい音楽映画という面もあって堪能した。最初はジプシー音楽に魅了されていたのだが、オペラシーンでの歌に聞き覚えばあり、気になって調べてみた。映画で聞いたのは、ビゼーの「真珠採り」の中のアリアで、その歌の名は「耳に残るは君の歌声」。映画のタイトルはここからきているのか、なるほど。オペラが嫌いな私にも耳なじみがあったのは、この曲がタンゴにアレンジされ、アルフレッド・ハウゼの「真珠取りのタンゴ」として子供の時から聞いていた。だから、知っているメロディーだったのだ。この映画で使われたオペラのテノールもよかった。オペラと言えば、映画「永遠のマリア・カラス」で流れたカラスの歌声も、映画館で聞くと迫力があって、よかった。こういう例外もあるが、合唱も含めて歌曲は嫌いだ。ベルカントが嫌いなのだ。だから、グレゴリオ聖歌なら聞いていられる。古楽もいいなあ。

 コンピレーション(寄せ集め盤)で名曲を次々に聞き、気に入った作曲家のCDを改めて買う。そうやって、愛蔵曲ができていく。バッハの「G線上のアリア」は、さまざまなバージョンで聞いたが、どれもいい。何度聞いても耳タコにならないという点では、パッヘルベルの「カノン」と違うところだ。

 YouTubeで、イツァーク・パールマンの演奏を聞いていて、「これはいい!」と何度もくりかえして聞いたのが、ラフマニノフの「ボカリーズ」だった。ボカリーズだから、母音のみで歌う歌曲なのだが、最初にバイオリンで初めて聞いて、そのあと歌唱版をいろいろ聞いたが、パールマンのバイオリン以上に感動的な演奏はなかった。

 他に、何度聞いても「いいなあ」とうっとりするのは、フォーレの「シシリエンヌ」(シチリア風の意)。シシリエンヌは音楽形式で、これはフランス語。イタリア語ではシチリアーナ(女性形)やシチリアーノ(男性形)も使われる。レスピーギの「シチリアーナ」もいい。バッハもこの形式の曲を作っていると知って聞いてみたのだが、ネット情報では別人の作品らしい。パバーヌも音楽形式だから、バッハもラベルも作っていて、どちらもすばらしくいい。そして、時には、こういう曲のジャズアレンジも聞いたり、逆にジャズアレンジされた曲のオリジナルを聞いたりして、音楽生活を楽しんでいる。

 そういえば、好きな音楽家は、フォーレ、ラベル、ドビュッシーとあげていくと、フランス好みなのかもしれないという気もする。

 

 

2052話 続・経年変化 その18

音楽18 クラシック・ソウル その2

 前回からの続き。

 いままで、ソウルとR&Bの説明をしてこなかったが、じつは明確な区別があるわけではないようだ。ゴスペルの影響が強く、シャウトする唱法が多いのがソウルだという説もあるが、甘い歌声のコーラスもあるから、全部シャウトする歌をさしているわけではないが、このコラムではソウルという語を使う。

 私にとって、「これがソウルだ、ウキウキするぞ!」という気持ちにさせてくれるのは、これだ。夏が来た。さあ、街で踊ろうよと誘いだす歌だ。

 MARTHA and THE VANDELLAS - Dancing In The Street (1964)

 同じように、体が動き出すウキウキ曲がこれだ。RCサクセッションやウルフルズが好きなら、きっと気に入る。

 Arthur Conley-Sweet Soul Music

 私にとって最高のソウル歌手はオーティス・レディングで、ここではこれを紹介しておこう。

 Otis Redding - I've Been Loving You Too Long (To Stop Now)

 1960年代後半の高校生時代にこういう歌をトランジスタラジオから聞き、ブラックミュージック好きは決定的となった。だから、こういうスタイルの音楽が好きなのだが、古いスタイルだということで、「クラッシク・ソウル」に分類されている。それを「時代遅れ」と恥じる気はまったくない。大好きなんだから、しょうがない。他人の目なんかどうでもいい。

 演歌ファンは毎度おなじみの調べが大好きで、「それがいいんだよ」というのと同じように、心も体もウキウキさせてくれる「毎度おなじみのソウル」が私は大好きなのだ。高校生時代にラジオで聞いた歌手を改めてまとめて聞きたくて、CDを買うことになる。アーサー・コンレイもアル・グリーンも期待した以上によかった。なかには、「やっぱり、一発屋だったか」という歌手もいて、一応CD1枚聞いてみたが、「Rainy Night in Georgia」(Brook Benton)だけは、やはり名曲だ。Georgiaといえば、Gladys Knight & The Pipsの”Midnight Train To Georgia”も大好きな名曲だ。

 こういうソウルを聞いていると、演歌の世界も少しはわかってくるのだ。サンバにしてもファドにしてもソウルにしても、結局は世界の演歌を好んで聞いている自分に気がつく。

 この音楽シリーズのコラムで「ブルース」という項目はない。アメリカ各地のブルースを少しは聞き、古い時代から現代まで聞いてみた。「いいなあ」と思う歌手はいくらでもいるが、CD1枚じっくり聞いてもまったく飽きない人はあまりいない。「ジョン・リー・フッカーロバート・ジョンソンなんか、いいよなあ」と感じつつ聞いているが、しばらくすると飽きてくる。どれを聞いても「いいなあ」になるのが、やはりといえば、やはりの当然だが、B.B.キングだ。どのブルーズCDを買おうかなと迷っていると、安全策でBBについ手が伸びる。ピアノ・ブルーズのオーティス・スパンもいい。

 アメリカで開催されたブルース・フェスティバルの映像を見た。1990年代だったと思う。ブルース歌手が演奏しているステージから、カメラが客席に向くと、そこは白人の世界だ。黒人たちは、ブルースなんて古臭い音楽は聴かないのだ。

 「1960年代に入ると、仕事はどんどん減っていったんだ」とテレビのインタビューでB.B.キングが話していた。ある日、コンサートの仕事が入って、バスで会場に向かっていると、歩道にあふれるほどの人がコンサートが始まるのを待っている光景が見えた。ロックコンサートだろう。「オレも、あんな大勢の客の前で演奏できればいいな。うらやましいと思っていたら、バスはその会場の駐車場に着いたんだ。フィルモアさ」。ライブハウス、FillmoreがニューヨークのEASTとロサンゼルスのWESTがあり、1971年に行なったB.B.のコンサートはライブ盤になった。客のほとんどは、もちろん白人だった。

 

 

2051話 続・経年変化 その17

音楽17 クラシック・ソウル その1

 演歌の製作スタッフは、音楽的センスも技量もないと思っていた。毎度毎度、さらに毎度おなじみのイントロと曲調と歌詞で、やはり毎度おなじみの節回しで歌うものを「新曲」として発表する。工夫というものがないのか。だからと言って、流行のリズムを取り入れろとは言わないし、美空ひばり(彼女は演歌歌手ではないが)の「真っ赤な太陽」のようなみっともない歌に仕上げてくれと願っているわけではないが、もう少し何とかならないか。

 そんなことを考えて、フト思いついた。私はソウルとかR&Bと呼ばれるブラックミュージックが大好きなのだが、時代的には70年代あたりまでで、マイケル・ジャクソン以後のブラックミュージックは好きになれない。映画「ブルース・ブラザース」(1980)で流れているような音楽、オーティス・レディング、サム&デイブ、アレサ・フランクリン全盛期の音楽が好きで、管楽器が鳴って、歌手がシャウトする・・・。そうか、演歌のお決まりのスタイルと、根は同じなのだ。ソウル音楽の、「ご存じ。毎度おなじみ」の音がたまらなく好きなのだ。60~70年代のソウルミュージックだ。私もまた、演歌ファンと同じように、「毎度おなじみ」のベタな音楽が好きなのだ。「毎度おなじみ」とは、別の言葉で言えば、ジャンルということだ。

 そんな古臭い音楽はダメだ、嫌だと感じた若者たちが、あっさりした、スマートな、汗の匂いなんかしないR&Bやヒップホップを作り出したのだが、それは私の趣味ではない。アマゾンの「ミュージック」で、私好みのCDを探す。「ソウル・R&B」をクリックすると、

クラシック・ソウル

ゴスペル

ファンク

ディスコ

モータウン

ブラックコンテンポラリー

R&B

 というサブジャンルに分かれていて、何度か探ってわかったのは、私が大好きなのは「クラッシク・ソウル」に分類されている音楽らしい。自分自身が「クラッシック」に分類される年齢になっているという現実を突きつけられているようで、ちょっとひるんだが、おもに1960~70年代のソウルなのだから、「クラッシック」と呼ばれても、まあしょうがないか。半世紀以上前の音楽なのだから。

ゴスペルは、アフリカ系アメリカ人の讃美歌で、このキリスト教賛美が気に障り、今までずっと聞かないできたが、まあ、ここはひとつじっくり聞いてやろうと何枚かのCDを買って聞いたのだが、やはりだめだ。声明にしても、ちょっとはいいのだが、長く聞くと飽きる。

 ディスコという施設も、そこにやってくる人たちの姿行動が肌に合わないのだが、そこで流れている音楽は、わりと好きだ。

アべレイジ・ホワイト・バンド

カーティス・メイフィールド

アース・ウィンド・アンド・ファイアー

ファンカデリック

クール&ザ・ギャング

スライ&ザ・ファミリー・ストーンなどのCDは買っている。

 自動車工業の街デトロイトが生み出したモータウンサウンドはもちろん、何枚も買っている。程度の差はあれ、どのグループも歌手も好きなのだが、どうも肌に合わないというのが、大御所マービン・ゲイマイケル・ジャクソンだ。なぜ好きになれないのか簡単に言うと、「泥臭い音楽が好きだから」と言っておこうか。

 短いコラムにしようと思っていたが、長くなってきたので、続きは次回。

 

 

2050話 続・経年変化 その16

音楽 16 ジャズ

 ラジオから流れてくるその音楽が「ジャズ」と言う名だと知る前から、ジャズが気に入っていた。それを音楽用語で「シンコペーション」というのだとも知らなかったが、普段耳にする音楽のリズムが、ごく簡単に言えば1、2、3、4というように1と3が強くなるが、私は1,,3,というようなリズムが肌に合ったらしい。

 戦後の日本は、連合軍(実質は米軍)の管理にあり、ラジオからジャズが流れ、1950年代はジャズコンサートが多く開催された。日活映画「嵐を呼ぶ男」(1957)はそういう時代を表している。大学時代にジャズに触れた若者たちがラジオやテレビの世界に入ってきて、ディレクターや放送作家となり、番組にジャズを取り込んだ。「夢であいましょう」(NHK、1961~66)に人気ジャズピアニスト中村八大が出演していた。ジャズ評論家大橋巨泉がMCをやった「11PM」(日本テレビ、1965~90)などでもジャズの演奏が聞けたし、ラジオでは番組テーマ曲などでも、ジャズが流れていたのを記憶している。演奏者の名も曲名も知らなかったが、のちにあの曲がマイルス・デービスだったりジミー・スミスだったのかと気がつくことは少なくない。

 ラジオのジャズ番組を積極的に聞くようになったのは、ジャズ評論家の油井正一の「アスペクト・イン・ジャズ」(FM東京、1973~79)で、その後スウィングジャーナル編集長の児山紀芳の「ジャズトゥナイト」(NHK)を聞いていた。

 機会があればジャズを聞いていたが、「ジャズを知る」とか「学ぼう」という行動は一切しなかった。聞いて楽しければ、それでいいと考えていたから、ジャズに関する雑誌も単行本も読んでいない。。

 私が苦手あるいは嫌悪するヤカラは熱狂的ジャズファンであり、あるいは落語ファン(談志ファンといってもいいか)だ。すしやそばにうるさいヤカラも虫唾が走るし、いまならラーメンやカレーやアニメのマニアが嫌いだ。「こうでなければいけない!」とか「こうあるべきだ!」という主張をすることで、言葉遊びを楽しんでいるのがうんざりで、近づきたくない。たぶん、オタクが嫌いなのだ。

 そういうこともあって、「ジャズ評論家が選ぶ必聴100枚」などと言った情報は一切読まず、タイ音楽を聞いたように、とにかくジャズを聞いた。

 具体的には4枚組とか6枚組といった名曲集コンピレーションのボックスセットをまず買い、聞き、そのなかで気に入ったミュージシャンのCDを買う。そういうことをしているうちに、自分が好きなのはピアノトリオだとわかってくる。日本でいちばん人気があるジャズミュージシャンはオスカー・ピーターソンだという情報がネットにあったが、指が早く動く、超絶技巧といった評価は、私にとっては高評価ではない。「音楽は、オリンピックじゃない。より早く指が動けば優勝という競技ではないだよ」と言いたい。私は、より音が少ないピアノが好きだ。ピラピラピラと引きまくる演奏はうんざりする。これはクラシック音楽でも同様。

 ジャズピアノを聞いていくと、私の好みはふたつに分かれるらしい。ブルースとかR&Bとかファンクといた感じが濃厚なピアノ、例えばボビー・ティモンズ、ジョン・ライト、ラムゼイ・ルイスなどであり、一方「静」を感じさせるのはビル・エバンス南アフリカ出身で昔はダラー・ブランドの名前で有名になったアブドゥーラ・イブラヒム、スティーブ・キューンなどがいる。

 世間では有名でも、私がまったく知らなかったミュージシャンに出会い、その音楽を聞いている時間が楽しい。聞く音楽に、見栄も自慢も理屈もなく、「ただ、楽しい」のだ。渡辺貞夫世代の人がよく口にしたのだろうが、いい演奏を聞くと、にっこり笑い「ご機嫌だねえ」という状況が好きだ。音楽を聞いて、いつもご機嫌でいたい。

 好きなジャズの話を始めるとキリがない。ここで誰かを紹介したいと思い、ジュリー・ロンドンとかボビー・ティモンズとかいろいろ浮かんだが、チャーリー・ヘイデン(ベース)に決めた。キューバ出身のピアニスト、ゴンサロ・ルバルカバといっしょに演奏した”Noctune“ 。もう1枚は、ハンク・ジョーンズ(ピアノ)とのデュエット”Come Sunday”を紹介する。その日最後に聞くのは、こういう音楽がいい。

 このコラムを夜更けに読んでいる方、おやすみなさい。いい夢を。

 

 

2049話 続・経年変化 その15

音楽 15 ブラジル音楽

 ブラジル音楽を初めて聞いたのは小学生から中学生になるころだった。今と違って、あのころはラジオしか聞いていない小学生が、英米以外の音楽を耳にすることは、実は幸せにも当時は特別なことではなかった。1960~70年代には、イタリアのポップス「カンツォーネ」が何曲もラジオから流れていたし、フランスのポップ「フレンチポップ」も同じようにヒットチャートに上っていた。ラジオで、イタリア語やフランス語の歌を耳にするのは、あのころの少年にとって、ごくありふれたことだった。1970年代前半なら、アフロ・ロックのオシビサや、カメルーン出身のマヌ・ディバンゴや南アフリカ出身のヒュー・マサケラなどもラジオで聞いている。ただし、アジアの音楽はほとんど放送されなかった。欧陽菲菲テレサ・テンも、日本の歌を歌っていた。

 初めて聞いたブラジル音楽は、ポルトガル語ではなかった。ボサノバをアメリカで売り出そうとブラジルの歌手ジョアン・ジルベルトとジャズプレーヤーのスタン・ゲッツが作ったアルバム「ゲッツ・ジルベルト」(1964)のなかに入っていた「イパネマの娘」が初めて耳にしたブラジル音楽だったかもしれない。LPではジョアンと妻のアストラッドが歌っていたそうだが、シングル盤ではアストラッドの歌だけ使われたらしい。その頃、日本のラジオで流れていたのはブラジル人が歌う英語の歌だった。これがボサノバをアメリカで売り出す戦略だった。プロデューサーがクリード・テイラーだと知ったのはずっと後になってからだ。クリード・テイラーの手によるCTIレーベルは、「いかにも売れるレコード」作りの達人だ。

 1950年代に、のちにボサノバの定番となる「想いあふれて」や「デサフィナード」などがヒットしているが、私の記憶にはない。映画「黒いオルフェ」は1959年制作で、日本公開は60年だ。映画で使われて名曲となった「カーニバルの朝」も、同時代に聞いたかどうかの記憶にないが、60年代には確実に聞いていて、深く心に残った。1960年代後半、渡辺貞夫がボサノバをジャズで演奏するようになり、日本でボサノバが広く聞かれるようになった。そのころから、「ああ、ブラジルに行きたいなあ」と憧れているが、いまだに実現していない。

 1970年代は、ブラジル音楽を聞いた記憶はない。ラジオからブラジルの音楽が流れていたはずで、ボサノバを聞いていたはずだが、特に印象はない。

 1980年代初めに、ClaraNunesを聞いた。カタカナ表記がクララ・ヌネスが多いが、ブラジルでの発音は「ヌネス」と「ニノス」の両方があるようで、ここではクララ・ヌネスとしておく。おそらく、82年の来日コンサートに際してのタイアップだったと思うが、ラジオで彼女の歌を聞いた。83年にアフリカから帰国すると、クララが急逝したと知った。40歳。病院の医療ミスだった。そのころ、ちょうどブラジル留学から帰国した人がいて、ブラジルから持ち帰ったクララのレコードを借りて、初めて彼女の歌をちゃんと聞いた。それがどのアルバムだったのか記憶にないが、そのなかの「ポルテーラ」が大いに気に入った。ポルテーラはエスコーラ・サンバ(サンバグループ)のテーマ曲だ。もう、これは、買い集めるしかない。新宿のディスク・ユニオンに通って彼女のCDを買い集めた。もう新作が出ないクララに代って、ほかに魅力的な歌手はいるだろうかと店員にアドバイスしてもらいながら探したが、クララ以上の歌手は見つからなかった。

 あれは横浜だったか、ブラジル人向けの食料品店に行ったら、ブラジルのCDが数十枚置いてあった。全部をチェックしたが、どれもまったく知らなかった。私が大好きなブラジル音楽は、すでに時代遅れになっているのだ。だから、アマゾンで昔のブラジル音楽を探して買っているのだが、歌謡曲であるショーロのCDは、アマゾンでもあまり出てこない。やはり、ディスク・ユニオンに行くか。

 クララのコンサートを見ることはできなかったが、のちにYouTubeができて、検索するとブラジルのテレビショーに出演している姿と歌声を聞くことができた。彼女の歌はいくらでも聞くことができるから、ここでも紹介しておこう。

 今、ラジオから流れる中島みゆきを聞いて、思い出した。友人のトルコ土産としてもらったSezen Akusの“88”のカセットテープだ。大いに気に入りCD版で買いなおし、しばらくトルコ音楽のCDも買い続けた。Sezen Akusの歌の感じは、曲によっては中島みゆきです。このCDをアマゾンで調べると、1万円以上している。気になる方は、このYoutubeで。より深い興味があれば、このLive映像を。民族楽器が入った歌謡曲です。そこにも注目を。

 

 

2048話 続・経年変化 その14

音楽 14 ポルトガル圏音楽

 ディスク・ユニオン新宿店ワールドミュージック館で買い込んだCDのほとんどは、まったくなじみのない歌手のものだったが、聞いてみればほとんど合格だった。買ったものの、聞いていすぐに捨てたCDはほとんどなかった。事前情報なしでも、驚くべき歩留まりだった。

 聞いてすぐに、そのすばらしさに茫然としてしまったCDが2枚あった。

Dulce Pontes "FADO PORTUGUÊS."という歌に心が奪われた。ポルトガルの歌手だとわかる。ドゥルス・ポンテスとカタカナ表記されるが、それでいいかという疑問はあるが、ここでは深入りしない。アルバムは“Caminhos”だ。「ファド・ポルトゥーゲーシュ」(ポルトガルのファド)というタイトルで、偉大なファド歌手アマリア・ロドリゲスのカバーなのだが、定型通りのファドではないことは素人の私でもわかる。

 感動したもうひとりの歌手は、Cesaria Evora“Cafe Atlantico”がいい。カーボ・ベルデの歌手だとわかるが、もちろん情報はない。セサリア・エボラのこんな歌声にやられた。たまらなく悲しい映画のラストシーンで流れているような曲だ。ポルトガルの元植民地カーボ・ベルデにこういう歌手がいることをまったく知らなかった。

 よし、ポルトガルカーボ・ベルデの音楽を求めて、ポルトガルに行こう。で、行った。

 リスボンでファド食堂を経営しているファド歌手にドゥルセ・ポンテの話を振ったら、「あんなのファド歌手なんかじゃない!」と強く否定した。そうだろうなと納得できるくらいには、ファドの知識ができていた。ファドは、形式的には、クラシックギターとギターラと呼ばれるポルトガルギターマンドリンのような高い音を奏でる)に歌手というのが最低限の構成らしい。ドゥルスは、ファドの形式からは外れているが、アマリア・ロドリゲスの伝承は受け継いでいることは、私にもわかる。リスボンでファドを聞いていると、結局、アマリアのカバーで食っていることがわかる。ニューオリンズのジャズのようなものだ。外国人観光客を喜ばすには、名曲カバーが最良の選択なのだが、ドゥルスは自分の歌を歌おうとしている。

 リスボンから帰ってしばらくして、NHK BSプレミアムの番組 「Amazing Voice 驚異の歌声」 (2011)で、ポルトガル・ファドの至宝 としてドゥルス・ポンテスが紹介されていたので、驚いたのだが、番組制作者も「ポルトガルの新しい潮流」を感じて彼女に注目したのだろう。

 リスボンに行けば、ファドはもちろん、カーボ・ベルデのCDはいくらでもあるだろうと思っていたのだが、大型CD店に行っても、十数枚あるだけだ。そんなものかとがっかりしていたのだが、ある日の露店市で数百枚のCDを並べている男がいて、アフリカ人の外見だから「もしや・・」と思って商品をチェックすると、たぶん、すべてカーボ・ベルデのCDだろう。特別安くはないが、ある程度の枚数は買える。20枚ほど買った。不勉強にも、その時は気がつかなかったが、路上のCD屋の商品には、カーボ・ベルデのほか、アンドラモザンビークギニアビサウなど元ポルトガル植民地の音楽が詰まったCDもあったのだろう。帰国してからそのことに気がつき、日本で「元ポルトガル植民地圏音楽」のCDを探すようになった。

 リスボンでファドとカーボ・ベルデのCDも買ったから50枚くらいになったから、そこから船便で送ろうと考えたが、送料がえらく高い。自分で運ぶことにすれば、そのカネでまだCDを買えると思い、さらに買ってしまった。

 リスボンで買った大量のCDを持って、バスでスペインに戻り、いくつかの都市で、この荷物を持って宿探しをやり、スペインでフラメンコのCDを買い、帰路タイに寄ってCDやVCDをまた買った。CD70枚か80枚を持って宿探しをする旅は、結構大変でしたよ。貧乏人は、旅先から気軽に荷物を送れない。CDケースは割れやすく重いから、荷造りの工夫も必要だ。

 今も、セザリアのCDは時々買っている。どれを買っても、あまり違いはないのだが、のんびりしたい気分の時は、堪能できる。夜、しっとりと音楽に浸りたいときは、彼女の歌がいい。かつて、CD1枚100円なら大特価だと思っていたのだが、いまならYoutubeでカーポベルデの歌でもマリの歌でも、たっぷり聞くことができる。音楽の表面だけ味わうわけだが、便利で安い。でも、ありがたみは無くなった。とはいえ、こんな歌あんな歌を紹介しておく。楽しんでくれるといいな。

 私が、「カーボ・ベルデの音楽がすばらしい」と大喜びしていたころ、すでに学術論文が発表されていたようだが、もちろん、私は知らない。その論文をもとにした単行本、『カーボ・ヴェルデのクレオール―歌謡モルナの変遷とクレオール・アイデンティティの形成』(青木敬、京都大学アフリカ地域研究センター、2017))が出ていることを今知ったので、さっそく注文した。ああ、また本が増える。