2050話 続・経年変化 その16

音楽 16 ジャズ

 ラジオから流れてくるその音楽が「ジャズ」と言う名だと知る前から、ジャズが気に入っていた。それを音楽用語で「シンコペーション」というのだとも知らなかったが、普段耳にする音楽のリズムが、ごく簡単に言えば1、2、3、4というように1と3が強くなるが、私は1,,3,というようなリズムが肌に合ったらしい。

 戦後の日本は、連合軍(実質は米軍)の管理にあり、ラジオからジャズが流れ、1950年代はジャズコンサートが多く開催された。日活映画「嵐を呼ぶ男」(1957)はそういう時代を表している。大学時代にジャズに触れた若者たちがラジオやテレビの世界に入ってきて、ディレクターや放送作家となり、番組にジャズを取り込んだ。「夢であいましょう」(NHK、1961~66)に人気ジャズピアニスト中村八大が出演していた。ジャズ評論家大橋巨泉がMCをやった「11PM」(日本テレビ、1965~90)などでもジャズの演奏が聞けたし、ラジオでは番組テーマ曲などでも、ジャズが流れていたのを記憶している。演奏者の名も曲名も知らなかったが、のちにあの曲がマイルス・デービスだったりジミー・スミスだったのかと気がつくことは少なくない。

 ラジオのジャズ番組を積極的に聞くようになったのは、ジャズ評論家の油井正一の「アスペクト・イン・ジャズ」(FM東京、1973~79)で、その後スウィングジャーナル編集長の児山紀芳の「ジャズトゥナイト」(NHK)を聞いていた。

 機会があればジャズを聞いていたが、「ジャズを知る」とか「学ぼう」という行動は一切しなかった。聞いて楽しければ、それでいいと考えていたから、ジャズに関する雑誌も単行本も読んでいない。。

 私が苦手あるいは嫌悪するヤカラは熱狂的ジャズファンであり、あるいは落語ファン(談志ファンといってもいいか)だ。すしやそばにうるさいヤカラも虫唾が走るし、いまならラーメンやカレーやアニメのマニアが嫌いだ。「こうでなければいけない!」とか「こうあるべきだ!」という主張をすることで、言葉遊びを楽しんでいるのがうんざりで、近づきたくない。たぶん、オタクが嫌いなのだ。

 そういうこともあって、「ジャズ評論家が選ぶ必聴100枚」などと言った情報は一切読まず、タイ音楽を聞いたように、とにかくジャズを聞いた。

 具体的には4枚組とか6枚組といった名曲集コンピレーションのボックスセットをまず買い、聞き、そのなかで気に入ったミュージシャンのCDを買う。そういうことをしているうちに、自分が好きなのはピアノトリオだとわかってくる。日本でいちばん人気があるジャズミュージシャンはオスカー・ピーターソンだという情報がネットにあったが、指が早く動く、超絶技巧といった評価は、私にとっては高評価ではない。「音楽は、オリンピックじゃない。より早く指が動けば優勝という競技ではないだよ」と言いたい。私は、より音が少ないピアノが好きだ。ピラピラピラと引きまくる演奏はうんざりする。これはクラシック音楽でも同様。

 ジャズピアノを聞いていくと、私の好みはふたつに分かれるらしい。ブルースとかR&Bとかファンクといた感じが濃厚なピアノ、例えばボビー・ティモンズ、ジョン・ライト、ラムゼイ・ルイスなどであり、一方「静」を感じさせるのはビル・エバンス南アフリカ出身で昔はダラー・ブランドの名前で有名になったアブドゥーラ・イブラヒム、スティーブ・キューンなどがいる。

 世間では有名でも、私がまったく知らなかったミュージシャンに出会い、その音楽を聞いている時間が楽しい。聞く音楽に、見栄も自慢も理屈もなく、「ただ、楽しい」のだ。渡辺貞夫世代の人がよく口にしたのだろうが、いい演奏を聞くと、にっこり笑い「ご機嫌だねえ」という状況が好きだ。音楽を聞いて、いつもご機嫌でいたい。

 好きなジャズの話を始めるとキリがない。ここで誰かを紹介したいと思い、ジュリー・ロンドンとかボビー・ティモンズとかいろいろ浮かんだが、チャーリー・ヘイデン(ベース)に決めた。キューバ出身のピアニスト、ゴンサロ・ルバルカバといっしょに演奏した”Noctune“ 。もう1枚は、ハンク・ジョーンズ(ピアノ)とのデュエット”Come Sunday”を紹介する。その日最後に聞くのは、こういう音楽がいい。

 このコラムを夜更けに読んでいる方、おやすみなさい。いい夢を。