2044話 続・経年変化 その10

音楽 10 民族音楽

民族音楽を音楽の素人である私が勝手に定義すると、ある民族が「昔から親しんでいると認識している音楽」ということにしておこう。「昔から」が100年前でも1000年前でもいい。西洋の王宮や教会の音楽をどう考えるかという点では、「おもに非西洋の音楽」というもうひとつの定義を加えてもいい。

日本以外の民族音楽を意識して聞いた最初の体験は、民族音楽学者の小泉文夫のラジオ番組「世界の民族音楽」(1965~83)を聞いたいつかか、『バングラデシュ・コンサート』(The Concert for Bangladesh 1971)でラビシャンカルの演奏を聞いたときか、いやそれ以前にビートルズ関連で、ラジオで60年代後半にほんの少しインド音楽を耳にした時かもしれない。1970年代初めに、東京のインド大使館で開催された南インドの楽器ビーナのコンサートに行ったことがある。コンサートの後、チャイとスナックを出してくれたのも覚えている。私がインドに行く前だから、71年か72年のことだろう。

世界にこんな音楽があるんだという驚きはあったが、インド古典音楽は1分聞くにはいいが、2分を過ぎると退屈してくる。日本のインテリたちのインドイメージは、サタジット・レイの映画とラビシャンカル古典音楽だったが、実際にインドを旅してみれば、インド人の多くが聞き、楽しんでいるのは古典音楽ではなく、映画音楽だということを知った。それからだいぶたって、インド映画研究者の松岡環さんと知り合うのだが、松岡さんの学識や人柄には感服するものの、松岡さんの後を追ってインド世界に進むことはなかった。すでに先達がいる世界に深入りしてもつまらないと思ったようだ。

小泉文夫の巧みな話術のおかげで、世界の音楽を体験し、その著作も読んで大いに刺激を受けたのだが、「アフリカの○×族の成人の歌」といったものが延々と続くのは、やはり退屈だった。世界の民族音楽を聞くのは、知を広げるという意味で刺激にはなったが、「楽しんだ」とはなかなか言えなかった。

楽しんで聞いていたのは、ブラジル音楽であり、中南米スペイン語圏の音楽(おもにフォルクローレ)であり、フラメンコなどであった。1980年代に入り、「ワールドミュージック」という言葉をよく耳にするようになった。簡単に言えば、民族音楽をポップ化したものだ。伝統音楽のままでは退屈だから、現在の楽器を使い、わかりやすくアレンジして、ダンス音楽などに仕立てた非英米音楽をさす。

ワールドミュージックが話題になっている頃、音楽評論家の中村とうようが新聞に書いた記事を覚えている。細かい用語は正確ではないが、要旨は次のようなものだった。民族音楽に、エレキギターシンセサイザーを加えたバンドでの演奏は、進化ではなく原点回帰だという内容だった。

アフリカに、シロフォンに似た木琴バラフォンという楽器がある。板の下に共鳴させるためのヒョータンがついているのだが、そこにクモの巣をつけて、音が割れるようになっている。わざと割れた音を出すのは、三味線のさわりにも共通する。そういう割れた音楽を、エレキギターではファズを使って出す。シンセサイザーを使って、伝統楽器の音を出している。現代の楽器を使って、伝統音楽の音を出している。だから、「伝統音楽にシンセサイザーなんてとんでもない」という批判は当たらないというのが、中村の主張だったと記憶している。

この話は、続く。