2043話 続・経年変化 その9

音楽 9 洋楽ヒット曲

 ビートルズの初シングルがイギリスで発売されたのは1962年だが、日本での発売は1964年だった。その頃には、日本でもビートルズが大人気になり…と思っていたが、東芝の販売担当者だった高島弘之氏の話だと、雑誌やラジオでもビートルズの紹介を依頼しても「そんなバンド、売れないよ!」と拒否されたという。日本ではなかなか売れなかったのだ。

 1964年当時、日本で流行っていた洋楽は、「ロシアより愛をこめて」(007テーマ)、「夢見る想い」(ジリオラ・チンクエティー)、「太陽の彼方」(アストロノウツ)、「ラ・ノビア」(トニーダララ)などで、ビートルズは9位と10位だ。

1965年は、「ダイヤモンドヘッド」(ベンチャーズ)、「キャラバン」(ベンチャーズ)、「真珠貝の歌」(ビリー・ボーン)、ビートルズは7位と10位。1966年でも、サイモンとガーファンクルモンキーズの方が売れていたらしい。社会的に話題にはなっていたが、洋楽ファンの間では、もっとおとなしい、わかりやすメロディーの歌が求められていたのだろう。当時、バンドはベンチャーズのような「演奏のみ」が主流で、作詞作曲歌を自分たちでやるバンドは少なく、当時の若者の大多数にはなじみにくいものだったようだ。

 私は65年に中学生になるのだが、その後のロックの雨嵐を自分からは浴びていない。アメリカンポップスもハードーロックはラジオから流れているのは認識していて、何曲かは記憶がある。プログレシッブ・ロックもテクノ、80年代以降のヒット曲はほとんど記憶にない。パンクやヒップホップなど当時最新の音楽を聞くことを拒否していたようだ。

 小中高とラジオ少年だったから、ラジオから流れるロックは耳にしていたが、本を読む目を閉じてじっくり聞いていたのは、ソウルでありジャズだった。つまり、フォークも含めて白人の音楽にはあまりそそられなかったのだ。時代がもう少し後になると民族音楽なども聴くようになり、英米白人音楽からはますます遠ざかった。

 ロックのレコードは1枚も買っていない。CD時代になって、中古CD店の格安コーナーで、サンタナローリング・ストーンズは買った。映画「ウッドストック」の最高のシーンはサンタナ登場である(このDVDは買った)。ストーンズはテレビのコンサート放送はすべて録画して見ている。もっとも好きなのは“Gimme Shelter”で、レディ・ガガと共演したステージはYoutubeで見たが、CD化はされていないらしい。ライブの1曲目でよく演奏するのが”Start Me Up“だ。さあ、やるぞ!という宣言だ。ライブではめったにやらないが、”Time Is On My Side”もいい。スリリングでカッコいいのだ。

 これらは、例外である。CDは1枚も持っていないが、ラジオから流れるビーチ・ボーイズのコーラスを聞いていると、なつかしさを感じる。ファルセットが大嫌いだというのに、なんだかいいのである。

 何事にも例外があり、ブラックミュージックでもないのにレコードを買ったのが、ジム・クローチ。CDのボックスセットを買ったのはS&G(サイモン&ガーファンクル)。アメリカ旅行中にラジオで聞き、耳をすませばわかる歌詞で、なによりも旅を感じさせた。S&Gの「アメリカ」はグレイハンドバスに乗ってニューヨークに行くカップルの歌だ。ニューヨークにいたころ、ラジオからよく流れていたのがビリー・ジョエルの“New York State Of Mind”は、心にしみた。そういうことはある。

 ロックの波をもろにかぶらなかったせいだと思うのだが、「英米の白人音楽至上主義者」にはならなくて済んだ。話題のロックを聞いていないと友人との会話に入れないとか、このバンドを聞いているからカッコいいだろといった感情はまったくなかった。アメリカの黒人音楽への関心からアフリカ音楽も聞くようになり、ブラジルやスペインの音楽も聞くようになった。ナイロビでアフリカ音楽に耳を澄ませた。バンコクやバリの路上では、タイやインドネシアのテープを探した。日本から旅に持ってきた音楽を、ウォークマンで聞くことはなく、街のレコードショップやテープ屋に行った。