2042話 続・経年変化 その8

音楽 8ロックンロール

 フランスやイタリアの歌謡曲を聞いていた時代から長い時間が流れ、1990年代末から中古CD店に通うようになり、2010年代に入って、アマゾン遊びをするようになり、膨大な出品品から次々にCDを買うようになった。大人買いをするカネはないが、安いCDをまとめて買うようになった。4枚組、6枚組といったボックスセットで買いまくったのは10代に聞いた音楽ではなかった。「いいなあ、こういう音楽!!」と感動するのは、ロックンロールやドゥワップといったジャンルの音楽で、わかりやすく言えば1950年代から60年代初め音楽で、もっとわかりやすく言えば、映画「アメリカン・グラフィティー」で流れていたような音楽だ。ビートルズ以前の音楽といえば、もっとわかりやすいか。この映画は1962年の高校生が耳にしていた音楽、その時代のラジオから流れていた音楽が使われている。半分くらいは知っているが、同時代の体験ではなく、アメリカでヒットしてから数年後に日本でカバーされて、ケンイチ少年は耳にしたのだ。1950年代末から60年代初めのころだから、私はまだ10歳にもなっていない。その時代の洋楽ヒットが、私の心を揺さぶる音楽だとわかった。「懐かしの音楽」というのは間違いではないが、60年代に入ってからラジオで聞いていたと思われる。あの時代のラジオは、いつも新曲ばかり追いかけていたわけではなく、10年前、20年前の音楽をたえず流していた。昔は、歌の寿命は長かったのだ。

 YouTubeの時代になり、手当たり次第に音楽を聞いているうちに、ロックンロール、ロカビリー、ソウルといった音楽が流れてきて、50歳を過ぎてからだが、1950年代から60年代初めの音楽CDを買い集めるようになった。いわゆるヒット曲はよく知っているが、ドゥワップとなると、ほとんど知らない。日本で紹介されたのはごく一部だからだ。この時代は、ポピュラー音楽の本流は白人だった。黒人音楽を流すラジオ局は限られていた時代だから、日本のラジオで放送されるチャンスは非常に低かった。

 大人買いしたCDを毎日聞いた。そのなかに、知っているようで、知らないような、しかし魅力的な歌に出会った。チャビー・チェッカーのLet’s Twist Again(1961年)は、グラミー賞ベスト・ロックンロール・レコーディング受賞曲だ。ピーター・バラカンは嫌いらしいが、いいなあ、このメロディーとリズム。知らない歌ではないが、はっきりとした記憶はない。1961年は、私は9歳で、ラジオを聞くより、その辺で遊びまわっている方が楽しい時代の、日本では大ヒット曲でもない歌だから記憶にないのは当たり前だが、でも、知っている。しばらく考えて、わかった。日本版カバーを聞いているのだ。大瀧詠一プロデュースのLet's Ondo AgainNIAGARA FALLIN' STARS、1978)だ。大瀧自身がDJをやったラジオ番組で、この歌を聞いた記憶があり、のちに本家の歌を聞いて、「どこかで聞いたなあ」と感じ、題名から大瀧のカバーに気がついたというわけだ。

 かつて、1950年代から60年代初めのアメリカのヒット曲を、日本語でカバーして発売するという時代があった。渡辺プロダクション(通称ナベプロ)時代といってもいいし、テレビの「ザ・ヒットパレード」(1959~70)や「シャボン玉ホリデー」(1961~72)で、数多くのカバー曲を放送し、日本でもそれなりにヒットした。ロックンロールという音楽は好きだが、その時代を象徴するリーゼント、革ジャン、オートバイの文化は嫌いだ(同じく、ディスコは嫌いだが、音楽としてのディスコやファンクは割合好きだ)。

 私の心がウキウキしてくる音楽は、その時代のヒット曲だ。1950年代から1963年までの「その時代」を別の言葉で言えば、エルビス・プレスリーの時代であり、1964年からはビートルズの時代ということになる。プレスリー時代だが、「1950年代ヒット大全集」と言ったコンピレーションアルバム(寄せ集め)のセットがあると、プレスリーパット・ブーン、そしてサム・クックといった名が曲リストに載ってたら、買う気を失くす。甘い、ソフトな声が嫌いなのだ。反逆者のイメ―ジだったプレスリーはすぐに映画俳優になり、太ったエンターテイナーになった。同じ軌跡を、石原裕次郎がたどる。反逆者が保守本流の人になった。