2052話 続・経年変化 その18

音楽18 クラシック・ソウル その2

 前回からの続き。

 いままで、ソウルとR&Bの説明をしてこなかったが、じつは明確な区別があるわけではないようだ。ゴスペルの影響が強く、シャウトする唱法が多いのがソウルだという説もあるが、甘い歌声のコーラスもあるから、全部シャウトする歌をさしているわけではないが、このコラムではソウルという語を使う。

 私にとって、「これがソウルだ、ウキウキするぞ!」という気持ちにさせてくれるのは、これだ。夏が来た。さあ、街で踊ろうよと誘いだす歌だ。

 MARTHA and THE VANDELLAS - Dancing In The Street (1964)

 同じように、体が動き出すウキウキ曲がこれだ。RCサクセッションやウルフルズが好きなら、きっと気に入る。

 Arthur Conley-Sweet Soul Music

 私にとって最高のソウル歌手はオーティス・レディングで、ここではこれを紹介しておこう。

 Otis Redding - I've Been Loving You Too Long (To Stop Now)

 1960年代後半の高校生時代にこういう歌をトランジスタラジオから聞き、ブラックミュージック好きは決定的となった。だから、こういうスタイルの音楽が好きなのだが、古いスタイルだということで、「クラッシク・ソウル」に分類されている。それを「時代遅れ」と恥じる気はまったくない。大好きなんだから、しょうがない。他人の目なんかどうでもいい。

 演歌ファンは毎度おなじみの調べが大好きで、「それがいいんだよ」というのと同じように、心も体もウキウキさせてくれる「毎度おなじみのソウル」が私は大好きなのだ。高校生時代にラジオで聞いた歌手を改めてまとめて聞きたくて、CDを買うことになる。アーサー・コンレイもアル・グリーンも期待した以上によかった。なかには、「やっぱり、一発屋だったか」という歌手もいて、一応CD1枚聞いてみたが、「Rainy Night in Georgia」(Brook Benton)だけは、やはり名曲だ。Georgiaといえば、Gladys Knight & The Pipsの”Midnight Train To Georgia”も大好きな名曲だ。

 こういうソウルを聞いていると、演歌の世界も少しはわかってくるのだ。サンバにしてもファドにしてもソウルにしても、結局は世界の演歌を好んで聞いている自分に気がつく。

 この音楽シリーズのコラムで「ブルース」という項目はない。アメリカ各地のブルースを少しは聞き、古い時代から現代まで聞いてみた。「いいなあ」と思う歌手はいくらでもいるが、CD1枚じっくり聞いてもまったく飽きない人はあまりいない。「ジョン・リー・フッカーロバート・ジョンソンなんか、いいよなあ」と感じつつ聞いているが、しばらくすると飽きてくる。どれを聞いても「いいなあ」になるのが、やはりといえば、やはりの当然だが、B.B.キングだ。どのブルーズCDを買おうかなと迷っていると、安全策でBBについ手が伸びる。ピアノ・ブルーズのオーティス・スパンもいい。

 アメリカで開催されたブルース・フェスティバルの映像を見た。1990年代だったと思う。ブルース歌手が演奏しているステージから、カメラが客席に向くと、そこは白人の世界だ。黒人たちは、ブルースなんて古臭い音楽は聴かないのだ。

 「1960年代に入ると、仕事はどんどん減っていったんだ」とテレビのインタビューでB.B.キングが話していた。ある日、コンサートの仕事が入って、バスで会場に向かっていると、歩道にあふれるほどの人がコンサートが始まるのを待っている光景が見えた。ロックコンサートだろう。「オレも、あんな大勢の客の前で演奏できればいいな。うらやましいと思っていたら、バスはその会場の駐車場に着いたんだ。フィルモアさ」。ライブハウス、FillmoreがニューヨークのEASTとロサンゼルスのWESTがあり、1971年に行なったB.B.のコンサートはライブ盤になった。客のほとんどは、もちろん白人だった。