1話 旅本の編集者


 この夏、ひとりの編集者が現場を去った。
 旅行記がまとまって文庫で出版されるようになるのは、おそらく講談社文庫からではないだろうか。とくに、アジアの旅を、ほとんど書き下ろしで出版すると いう形態は、90年代なかばの講談社文庫からといっていいだろう。出版事情を多少知っている人は、「文庫編集部に、旅行ファンでアジアマニアの編集者がい るのだろう」と想像するだろう。他社の場合はたしかにそういう編集者がアジア本を手掛けるという例が少なくないが、講談社文庫の場合はまったく違う。
 書籍宣伝で長らく仕事をしていた谷章さんは、旅の本を作りたくて文庫編集部に移動してきた。しかし、彼は学生時代からの筋金入りの旅行者というわけでは なく、熱烈なアジアファンというわけでもなかった。ただ、旅行記を読むのが好きだった。勤務先は出版社だが、編集者ではなく、宣伝を扱うサラリーマンだっ た。普通の人の感覚が、講談社の旅文庫を作ったのである。
 彼が文庫編集部に来て、最初に企画したのが、『ホテルアジアの眠れない夜』(蔵前仁一)だ。凱風社から1989年に出版された親本の文庫化である。この 本に、文庫版旅本の将来が託された。この本が売れれば、次が出る。売れなければ、この一冊で終わるという運命を蔵前仁一の本に賭けたのである。1994年 にこの文庫が出版されると、爆発的に売れ、おかげで下川、日比野、前川などの文庫が次々に出版されることになったのである。
 「売れる本を作りたいんです。私をカネの亡者だと思うかもしれませんが、違うんです。売れるなら、どんな本でも出したいなんて思ってませんよ。でもね、 『売れなくてもいいから、いい本を出す』なんて思っていたら、その一冊で終わりなんです。次が出せません。好きな書き手の本を、たった一冊だけで終わらせ たくはないんですよ」
 こうして、谷さんはなるべく多くの旅本を出すためにさまざまな工夫を凝らし、常に書き手の側に立ち、書き手の希望を最大限に実現することを心掛け、昼夜 かまわずがむしゃらに働き、ついに体をこわした。命か、編集者か、という二者択一を迫られるところまできて、ついに現場を離れる決心をした。
 10年間の、過酷な編集者生活だった。