1436話 『プラハ巡覧記 風がハープを奏でるように』出版記念号

 

 なんだか、遠い昔のようなことと、ちょっと前のこと その3

 

 アジア文庫のホームページが中断したままになっていることは、あまり気にならなかった。私はデジタルに冷たいのだ。それよりも、アジア文庫の葬式本を出したいと思っていた。タイには、ある人がなくなると、その人物の生涯を記録した本を出版するすばらしい習慣がある。故人関連の本でなくても、故人が関わっていた分野や、興味を持っていた分野の本の出版を遺族や友人が引き受けることもある。そういう本を葬式本という。だから、タイの研究者はどういう分野であれ、葬式本が重要な情報源なのだ。私の場合で言えば、タイ音楽の勉強をしているときに古本屋で見つけたのが、タイの西洋音楽の最重要人物ウア・スントーンサナーンの葬式本だった。これで彼の軌跡がわかった。

 アジア文庫の葬式本を作れば、1980年代から2010年までの、日本におけるアジア研究の流れや、出版物の「生きた情報」がわかる。国会図書館の資料を使えば、その時期にどういう本が出版されたかは簡単にわかるが、それはリストでしかない。その時代にアジアの本がどう売れ、どう読まれたのかという「生きた情報」を、アジア文庫の葬式本で読み取れるようにしたいと思ったのだ。

 めこんの桑原さんに相談して、私が編者をつとめることにした。必要な原稿はほとんど手元にある。大野さんからの私信もかなりある。それらの資料を整理して、新たな原稿が必要なら加筆すればいい。本の構想はできたし材料も集まったが、現実に本という形にするには編集もできるデザイナーが必要だ。ギャラなどないタダ働きをやってくれる人はいるだろうか。ダメ元で、蔵前さんに相談メールを送ると、「やらせていただきます」と快諾してくれた。報酬がないだけではなく、とりあえずの経費もないのだ。超多忙な蔵前さんが、急いで本一冊を、ひとりでまるごとデザインする。小説なら、字の大きさや書体や行数などを決めたレイアウトに基づいて、文章を流し込むだけで済むが、この本は構成がやや込み入っていて、手間がかかる。それを引き受けてくれたのだ。印刷費などは、本が出来上がってから、アジア文庫の記念パーティーの会費の一部を当てる計画になっている。

 本づくりに関して、蔵前さんといろいろ相談しながら作業を進めた。「作業実費もないんだ」という話しをすると、「アジア文庫の本として、恥ずかしくないものを作りましょう。カネがないなら、僕が出したっていいですから」というメールを受け取ったときは、目頭が熱くなった。蔵前さんは、安くて良さそうな印刷所を探し、印刷会社とのやり取りをすべて引き受けてくれた。出来上がった本を自分の車で遠方の印刷所まで取りに行き、パーティー会場まで運んでくれた。印刷代金以外に蔵前さん自身がいくら支払ったのか、わからない。言わないだろうと思ったから、聞かなかった。完成した本は『アジア文庫から』というタイトルで、パーティー参加者に配られた。この本は、残部僅少だが数冊はまだあるということなので、購入希望者はめこんに問い合わせてください。貴重品です。上の『アジア文庫から』から飛べます。

 そういういきさつがあって、蔵前さんを敬意を込めて「天下のクラマエ師」と呼ぶことにしたのである。

 「クラマエ」というカタカナ表記には、いわれがある。蔵前さんが運転免許証を取ったばかりのころ、妻の小川京子さんが「ねえねえ、クラマエってさあ、調子に乗っちゃって、くわえタバコでおまけに片手でバックなんかしてんのよ。若葉マークのくせに生意気よねえ」と言っているのを聞いて、「クラマエ」とカタカナ表記した方がおもしろいと思ったのだ。同時に尊敬すべき人物なので、「師」をつけた。「天下」にもいわれがあったと思うが、忘れた。