83話 東ティモールとポルトガル語


 インドネシア研究ではよく知られた学者が、国際交流基金アジア講座で東ティモールの話をした。
 その学者は、東ティモールの苦難の歴史と独立達成の喜びを語っていたが、私は懐疑的にその話を聞いていた。かつてポルトガルの植民地だった東ティモール は、ポルトガルの手を離れたあとインドネシア編入された。インドネシアの政府と軍は、独立の動きを封じるために、東ティモールで乱暴狼藉をはたらいた。 そういう歴史があるから、インドネシアから独立すること自体に反対しているわけではないが、研究者なら将来の経済的展望にも言及すべきだと思った。もうひ とつ、公用語の問題も気にかかっていたので、講義終了後の質疑応答の時間に、私は次のような質問をした。
東ティモールは大油田地帯ではないし、ダイアモンドや金の大鉱山があるわけでもありません。大観光地でもありません。だからこそ、インドネシア政府は独 立を認めたわけですが、東ティモールの独立後の経済についてどう考えますか」 この質問に対する学者の解答は、驚くべきものだった。
「あそこはコーヒーの産地です。だから、経済的にもなんの問題もありません」
 コーヒー栽培だけで国家経済が成り立つなら、コーヒー生産国はみな豊かになっている。経済的に見れば、インドネシア東ティモール支配は赤字だった。道 路や学校の建設にカネを使っているが、その支出を上回る税収があったわけではない。諸外国の援助なしには国家経営が成り立たないのだ。西欧世界が東ティ モール独立に暖かい視線を送っていたのは、イスラム教国からキリスト教徒居住地域が独立するからであって、もしその逆だったら、西欧世界は冷ややかに見て いただろう。そういうことも踏まえて、独立問題を語るべきなのに、その学者は一切触れなかった。
 公用語に対する質問というのは、こういうことだ。
 東ティモールには、10を越える少数言語があるが、共通語としてテトゥン語がある。インドネシア支配時代には学校教育ではインドネシア語が使われてき た。テレビやラジオの言葉もインドネシア語だ。だから、住民たちは場によって、この3言語を使い分けてきたわけだ。独立にさいして、公用語を決めなければ いけなくなった。選択枝は次の3つだろうと私は思っていた。

1.テトゥン語にする……話者は多いから日常生活では混乱はないが、教育や行政の言語ではないので、実現は難しい。
2.インドネシア語にする……憎きインドネシアの言葉など使いたくないだろうが、名を捨て実をとるという柔軟な考えなら、これが一番実現性がある。国民の負担も少ない。
3.英語にする……当分の間はテトゥン語との併用だが、しだいに英語の重要性を高める。シンガポールのやり方だ。

 独立して、政府が選んだ言語はなんとポルト ガル語だった。独立運動の活動家たちはポルトガルに亡命していたから、ポルトガル語には不自由はないだろうが、国民の大多数にはまったくなじみのない言語 だ。独立しても、家庭では従来どおり少数言語を使い、広い地域では共通語としてテトゥン語を使い、インドネシアとは国境を接しているから、引き続きインド ネシア語は必要で、学校では英語も覚えなければならないだろう。それに加えて、公用語としてポルトガル語の学習である。これは無茶だと思ったので、その学 者の意見を聞きたかった。こんな解答だった。
ポルトガル語は、ポルトガルはもちろん、ブラジルでも使っているちゃんとした言葉です。問題ないでしょ」
 ポルトガル語がブラジル以外にも、サントメ・プリンシペガボ・ベルデやアンゴラなどで使われているのは知っている。それが、ポルトガル人も理解できな いほどに変容しているのも知っている。しかしだ、「ちゃんとした言葉だから、問題ない」は、ないでしょ。楽観的なのにも程がある。大反論を展開したかった が、時間的に一問一答しかできないようなので、遠慮せざるをえなかった。
 のちに、あるジャーナリストにこのときの話をすると、経済問題について彼はこう言った。
「戦後独立した国で、経済的に外国の援助なしに国家経営している国なんて、産油国でもなければほとんどないですよ。とくにアフリカや太平洋地域なんかそう でしょ。だから、政治的に独立するというのは、たいていの場合、『経済など全面的に援助をよろしく』という意味なんですよ」
 こういう説明ならわかる。コーヒーを売れば、それで国家経済が安泰などと考えている経済音痴の学者が実在することがわかっただけでも、あの講座は価値があったとするべきか。