89話 1977年の海外旅行(2)


  引き続き『海外旅行案内』1977年版から、当時の海外旅行事情を紹介する。
 「旅費はいくらかかるか」という項目の文章をそのまま引用してみる。きっと、驚くだろう。

 「各国の旅行経費を比較して最も高価な部類に属するものは米国、フランス、スイス、ドイ ツ、イタリア、ベルギー、英国、ギリシャ、及びアルゼンチン、インドネシア、フィリピンなどで、次いでスウェーデン、エジプト、オランダ、デンマーク、ブ ラジル、の諸国。割りに安くすむのはスペイン、ポルトガル、の国々である」

 アメリカやフランスと並んでインドネシアとフィリピンが入っているのをきっと奇異に感じるだろう。じつは、この文章は60年代の版から手が加えられずにそのまま載っているもので、77年当時ではすでに事情は変わっているはずだ。
  フィリピンがなぜ物価の高い国に分類されているのかわからないが、インドネシアの場合はこういうことだろう。1964年の話だが、インドネシアの通貨ルピ アは1ドルが515ルピアと規定されていた。これは旅行者用レートで実勢レートは2500ルピアだから、外国人は実際の物価の5倍くらいの料金を支払って いたことになる。高級ホテルはドル払いでしかもかなり高額に設定してあるので、外国人にはアメリカ並みの物価(日本より高い!)ということになる。
 私が初めてインドネシアに行ったのは74年で、その当時も闇両替がまだ残っていたが、公定レートより数パーセントいいという程度だったから、もはやアメリカ並みの物価ではなかったが、タイよりはだいぶ高かった。
 次は「外貨購入手続き」
 当時、持ち出せる外貨は3000ドルまでだった。日本円をもって銀行に行き、「海外渡航のための渡航前買入れ等承認申請書」3通を書き、パスポートを添 えて提出すると、その日本円相当分の外貨が購入できた。いくら購入したかという記録はパスポートに記入された。おかしな制度だったのは、例えば500ドル 両替して、出発前に臨時収入が10万円あったから、これも両替しようとしても、拒否されることだ。つまり、両替は3000ドル以内であっても一度しかでき なかった。
 当時はまだ予防接種が必要だったが、そういう話をすると長くなるし、アジア文庫のホームページを読んでいる人には残念ながら若い人はいないだろうから、中高年の読者は予防接種の話はすでに事情がわかっていると解釈して省略する。
 書きたいと思ったのは、クレジットカードのことだ。1977年当時に海外でクレジットカードを使っていた日本人はそう多くはないだろうし、私などクレジットカードを手にしたのはほんの数年前なので、当時のクレジットカード事情など想像もできない。
 『海外旅行案内』によれば、海外でクレジットカードを使うには、次のような手続きをするそうだ。
 ・まず国内用のカード会員になる(おそらく、審査は大変厳しかっただろう)。
 ・パスポート番号と国内カードの番号を記入した「国際カード発行申請書」を提出する。
 ・使用限度額は3000ドル以内だが、現金やトラベラーズチェックも必要なので、それらの金額を差し引いた額を申請する。つまり、クレジットカードだからといって、3000ドル以上使えるというわけではない。
 ・国際カードは原則として一回の渡航にのみ有効で、しかも有効期限が短いらしい。

 「服装」
 「女性の場合、洋装の方が活動的で便利だが、着物で行けばあちらの流行も気にしないですむ上に、高級品でなくとも結構立派に見えるから経済的である」

 こういう文章は昔の版から変わらずに載っている。いつまで「着物がいい」と書いていたのか不明だが、77年当時ならまだ「着物で海外旅行」という人がいたかなあ。
 こうやって書き出すときりがないので、最後に機内食について触れておこう。
「食事の時間にはもちろん無料で食事が出る」 有料だと思っていた人がいても不思議ではないが、当時、酒は有料という航空会社が多かった(大きな航空会社 は有料だった)から、トラブルも多かったと思う。実際に、「どんどん勧めるからどんどん飲んだら、あとでカネを請求された、インド航空らしいぜ」と言って いた旅行者がいた。
「食事時間が途中の着陸地点に相当する時には地上でサービスを受ける」 機内食について調べていてわかったのは、初期のころは、食事は空港でとっていたのだ。航続距離が短いから、途中に何度もとまり、その間空港で休憩するわけだから、その時間を食事にも使うのだ。
 ビジネス客やツアー客は、できるだけ早く目的地に到着して欲しいだろうが、長時間機内に閉じ込められるのがいやな私は、3時間ごとに空港で休憩したり、 ゆっくりと食事をしたい(当然、空港内喫煙可が望ましい)。そのほうが絶対に優雅な空の旅だ。大多数の人は「変だよ」と思うだろうが、私は途中降機の多い 路線が好きだ。そのせいもあって、太平洋路線には魅力がない。