90話 書きたい人より・・・・


 ずいぶん前の選挙で、「出たい人より、出したい人を」というスローガンがあったが、最近の私の心境は、「書きたい人より、書かせたい人に」である。
 現在はインターネットのせいで、文章を書きたい人はなんでも好きなだけ好きなように書くことができるが、おもしろいものはきわめて少ない。だから、書き たい人の「書きましたよ」というだけの文章ではなく、私が読みたい文章を書けそうな人に、ぜひ書いてもらいたいと思うのである。
 例えば、某書店にインドネシア語インドネシアに詳しいTさんという店員がいる。このページをしばらく譲るから、ぜひともなにかエッセイを書いてくださ いと丁重にお願いしているのだが、頑として受け入れてくれない。これは宝の持ち腐れ以外のなにものでもない。せっかく苦労して得た知識を、一般人に公開し ない理由がよくわからない。
 研究者と雑談していても、すばらしくおもしろい話を耳にすることがある。その人の研究の本筋ではないが、研究しているうちにわかった非常に興味深い話だ。
 タイの政治を研究している人がいる。私はどこの国であれ、政治研究なんぞにまったく興味がないのだが、タイの政治を本当に動かしている勢力の話はおもし ろかった。その勢力とは、軍であり、ヤクザである。ヤクザというより、侠客といったほうがいいのかもしれないが、タイにはそれぞれの地方に親分がいる。こ れは、暴力団の組長というより、戦前までの侠客とか親分といったほうが近いらしい。つまり、完全なる犯罪集団ではなく、地元では人望があり、折に触れ寄付 などしたり、慈善事業もやるが、利権はきちんと確保し、バクチや密輸や殺人などの犯罪も行なう人物ではあるが、きちんとした組織があるわけではない。
 そういう人物が政治家をあやつったり、自ら政治家となったり、裏と表の世界でさまざまな行動を見せるので、「そのあたりのことを、ぜひ」とお願いしているのだが、いっこうに書いてくれる気配はない。
 学者にとって重要なのは、学術論文を書くことであって、例えそれが専門の学者すら読まないものであっても、「業績」の欄にずらりと書き込めるだけの数多くの論文が必要なのだろう。一般人が読むような本をいくら書いても、業績にはならないのだ。
 あれは学者だったか、あるいはジャーナリストだったか忘れたが、その人がちょっと書いたことがあるテーマがおもしろかったので、「あのテーマで、ぜひ一冊」と、お願いしたことがある。その人はあまり関心を示さないので、もう一度お願いするとこう言われた。
 「悪いけど、オレ、あんたみたいにヒマじゃないんだよ。これでもけっこう忙しくてね」
 まあ、そう言いたい気持ちはよくわかる。書き下ろしで本を書くにはまとまった時間が必要だし、印税など大したことはないし、学者なら業績にもならない。得なことなどなにひとつないのだ。
 もうひとつ問題がある。私が本を書いて欲しいと思う学者は、講師かせいぜい助教授になりたての若手なのだが、そういう若手に対して「一般書を書くのは十 年早い。専門の研究に全霊を打ち込みなさい」と厳しく指導する教授がいるのだ。そういう教授のもとで研究している若手は、本人の関心がどうであれ、私が喜 ぶような本は書けないのである。おもしろいことをしたいなら、学者になんぞなるものではない。そんな教授のもとで研究しても、専門バカになるだけだ。ま あ、学者としてはそれでいいのだろうが。