91話 好きなもの、やりたいこと


 噂に聞いていたとおりの若者に会った。
 喫茶店のテーブルをはさんで、大学生が語り始めた。
 「ぼく、自分が好きなことはなにか、よくわからないんです。だから、将来なにをやりたいのかわからないんです。考えてみれば、中学のときも、高校のとき も、そして今も、なんでも友達のマネをしてきたような気がするんです。クラブ活動も、服装も聞く音楽も、よく見るテレビ番組も、仲のいい友達が話題にして いるのをそのままマネしていたような気がするんです。
 来月、タイに行こうかなと考えたのも、友達に誘われたからで、自分ではタイなんてまったく興味がないんです。じゃあ、どこの国に興味があるのかというと、どこの国にも興味はないし、そもそも海外旅行にも興味がないんです」
 好きなことがない。やりたいことがないという若者の存在がよく理解できない。
 20歳ころの私は、読みたい本はいくらでもあったし、行きたい場所もいくらでもあったし、見たい映画も、行きたいコンサートも、買いたいレコードも、いくらでもあった。自由になる時間もいくらでもあったが、自由になるカネはいくらもなかった。
 だから、私は孤独だったのだ。
 「自分が好きなことがわからない」という大学生を、「これだから、いまの若者はしょうがない」などと嘆く気はない。昔の若者だって大多数は同じだったの だ。だから、私のようにやりたいことがたくさんあって、その資金作りのために働き、そして日本を出て行くような生活をしていれば、仲間とつるんでぐだぐだ グチを言い合うヒマなどなく、いつも孤独だった。
 いつの時代も、普通の生活をしていく人は、人生の大きく明確な目標はないのかもしれないという気がする。私は就職試験なるものを知らないから想像で書く が、多くの大学生は商社を受け、食品メーカーを受けと、大企業ならどこでもいいとか、なれるなら公務員ならどこの役所でもいいという程度の就職志望ではな いだろうか。
 こういう行動を、けっして軽蔑しているわけではないので、誤解しないでほしい。サッカー少年や野球少年が、夢がかなってプロスポーツの世界に入るという ような、ストレートな人生というのは特別なことであって、多くの若者は将来の自分の姿を明確に定めていたわけではない。
 だから、いまの若者も昔の若者も同じようなものだが、違いはやはりある。そのひとつは、昔の若者は「自由時間は、長くは続かない」と思っていたから、就 職したら立派な会社人間になろうとした。人生とはそういうものだと思っていたから、自分の好きなものがなにかなどと懸命に探そうとしなかった。あるいは、 仕事を趣味にしようとしたのかもしれなし、結果的に仕事が生きがいという「プロジェクトX人間」になったのかもしれない。
 この話は「趣味」や「個性」にも似ている。趣味とは、いつの間にか好きになったものであり、あるいはあるきっかけで好きになった物事である。個性とは 持って生まれたものである。ところが、「人生に潤いを与えてくれるから、趣味をもちなさい」とか「個性的に生きなさい」などと、教育者や宗教家や評論家な どに言われると、困惑することになる。「個性」なんて、持とうと思って自由な個性が持てるわけではない。
 私は目の前にいる大学生に、もちろん励ましの言葉などかけなかった。アドバイスというわけでもなく、たったひとことこう言った。「旅行するなら、とりあえずひとりで行ってみたら。誰もあてにせず、誰からもあてにされない旅をしてみたら」と。